マッドマックス 怒りのデスロード


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ストーリー;沙漠。どでかい魔改造トレーラーが驀進する。運転するのは歴戦の女戦士(シャーリーズ・セロン)。車内には白い衣装に身をつつんだ美女たちが満載だ。やがて主人公マックス(トム・ハーディー)がチームに加わる。追うのはイモータン・ジョー率いるウォー・ボーイズの軍団だ。追うもの追われるものがひたすら沙漠を疾走する。

「直線番長」っていう車やバイクの世界の言葉がある。エンジンパワーだけあってコーナーリング性能が低いマシンのことだ。コーナーがへたなドライバーにもいうことがある。車でいえばちょっと前までのアメ車のスポーティーカーはまさに直線番長だった。そしていま『マッドマックス 怒りのデスロード』。映画における直線番長がここに顕現した。
とにかく全編がアクションだ。さすがに緩急をつけるために静かなシーンはあるし、世界観をかたるシーンもある。でも物語はバトルとともに進んでいくし、それ以外の見せ場は必要ないと作り手は決めている。バトルシーンのほぼすべてはカーアクションとセットになっている。主人公を乗せた大型トレーラーもそれを追う敵の改造車軍団もまったく止まることなく爆走し、その上でなぐりあったり火の矢を放ったり撃ち合ったりするわけだ。じつはこの映画のすこし前にカーアクションの傑作『ブリット』を見ていた。傑作はほかにも無数にある。街中で、荒野の道路で、車は吼え、のたうち、火を噴いて転げる。もちろんこの映画もそうだ。でもちょっと違いがある。
この映画、デスロード(原題フューリーロード)と言うわりに「路上」というものがない。カーアクションものは道路に制限されるところがけっこう肝だ。だいぶまえここで書いているけれど、カーアクションが道路にしたがうというのはわりと前提ルールで、それが物語をかたちづくっていたりもする。道路の外に逸脱することはそうそうないのだ。車を運転していればとうぜんの感覚だ。でもマッドマックスでは違う。もはや文明が崩壊した世界で、整備された道路なんてない。だれもが砂漠をひたすらに驀進する。無限の荒野を自分の目的性だけにしたがって直進する車。そう、その「直進」がこの映画のもうひとつの特徴だ。

カーアクションにはコーナーリングという要素が不可欠だ。道路に従う以上、道路がまがれば車も曲がる。アメ車はコーナーリング性能が高いとはいえないから、そんな車がタイヤを鳴らしながら無理矢理に曲がっていくところがアメリカ映画のカーアクションの伝統的格好よさだ。ヨーロッパ映画だったらもっと狭くタイトな道路をコンパクトなスポーツカーが走り抜ける。ところがこの映画はまさに「直線番長」なのだ。そりゃむりもない。主役はトレーラーだ。機敏に曲がるとかそういう世界じゃない。なにしろ真っ直ぐに走る。追う敵も一緒に真っ直ぐに走る。この強烈すぎる一本のベクトル。「軸」です。軸があまりにも強力に画面内の空間の中にあるのだ。
一本の確固とした運動のベクトルがあり、その中で上下左右に戦士たちが暴れ回る。やられたものは転がって火を噴き脱落する。この感じは列車アクションに似ている。007にだって追いつ追われつのバトルはいくらでもあった。でも路上ですらない平地でこの直進感。ある種の抽象性が生まれてるといえるかもしれない。その軸は主人公たちの理想郷へまっすぐむかっている。
改造車たちがホットロッドをオフロード化したみたいなテイストなのもそういう意味でぴったりだ。ホットロッドはまさに直進が命の車だ。ついているボディは見たことある乗用車なんだけどほとんどお飾りでしかない。一番笑ったのはスポーツクーペのボディの下がキャタピラーになっているマシンだ。これが超高速で走るんだからね。ただのデザイン上のおふざけじゃなく、ちゃんとバトルの展開に絡んでいる。車たちはどこか原始宗教のオブジェや戦国武将の行き過ぎた甲冑デザインみたいな香りがあって、なんとも言えないイメージの強さがある。お囃子隊が軍団にあるのもふくめて、近代以前の戦いの雰囲気を出してるよね。

物語はマックスがタフな助っ人役で女たちの決死の作戦を助ける展開。トム・ハーディはなんだか丸顔になってラッセル・クロウ的な雰囲気になった。ヒロイン=ヒーローのシャーリーズ・セロンは高身長をいかして草薙少佐ばりの格好よさだ。そうそう、マックスがバトー的存在感なんだよね。そして脱出した美女たち。雰囲気にバリエーションを持たせつつ、砂漠の真ん中でも全員白いヒラヒラした衣装をつけて優雅だ。同じオーストラリアの『ピクニック・アット・ハンギングロック』を思い出した。
製作エピソードでいいのは、オーストラリアの砂漠で撮影準備を整えてまっていたら、いきなりめったにない記録的豪雨になり、たっぷりの水気を得た砂漠が一気に花咲く草原になってしまった話。撮影隊は18ヶ月待ったけれど砂漠に戻らないので、あきらめてナミビアにロケ地を変更したという。これ、話しのオチに使えれば案外コンセプトに合ったんじゃないかな。まぁいきなりぬるい話にはなるか......