クレイジーハート


<予告編>
ストーリー:かつてスターだったカントリーシンガー、バッド(ジェフ・ブリッジス)は、いまでは一人で何百キロも車を走らせて田舎町のライブ会場をまわる日々だ。マネージャーには新曲をかけといわれるけれどその気にもならず、酔いどれ状態でステージに。そんな町の一つで取材にきたバツイチの美人記者をバッドは一発で気に入る。後輩シンガーのトニー(コリン・ファレル)のライブのオープニングアクトの声がかかったバッドは弟子の前座なんて….とむっとするが、帰りにまた彼女に会えると思うとすこしアガる彼なのだった……
カントリーミュージックを全面にフィーチャーした映画といえば、このブログでは『ナッシュビル』あたりだ。『ウィンターズ・ボーン』ではカントリーの原型といっていいのかもしれないルーツミュージックのヒルビリーミュージックが歌われていた。コーエン兄弟の『オー・ブラザー』はレコード産業やラジオが音楽を大量複製しはじめた時代のカントリーが出てきていた。(このあと『カントリーストロング』も見たョ)『クレイジーハート』は主人公がシンガーだから、カントリーという音楽にはとても敬意が払われているし、きちんと取り上げている。

お話自体はよく『レスラー』にたとえられる。『アンヴィル』とも似ているかもしれない。老いて、すり減って、かつての輝きはなく、でもこの道しかないその男は、また自分のステージに帰っていく……でもけっこうねっこの部分がちがう。何がちがうかといえば、主人公バッドにとってのカントリーは、まぎれもない救いなのだ。『レスラー』の苦さは、主人公ランディの光であるプロレスを続けること自体が彼を傷つけるというところだ。『アンヴィル』のリップにとってのヘビーメタルだって、あきらかにもうだめでしょ、とわかっていてもバイトがほとんど本業となりつつ固執する痛さが観客をひりひりさせる。でもこの映画ではちがうのだ。バッドはそもそも音楽で食えているし、自分自身である音楽にもういちど向かい合いさえすれば、そこにはちゃんと救いが待っていて(経済的にも!)すべてうまくいくのだ。これは180度ちがう。老いたものがどんなに本腰を入れたってだれも待っていない世界は残念だけどいくらでもある。スポーツだけじゃない。
ポップカルチャーにはそういうところはもちろんある。でもこのカントリーの世界ではファンが待っていてくれるし、業界は彼の新曲を待っていてくれる。ま、ファンは相応に中高年層なんだろうけどね。映画では彼のどさ回り会場ではきっちり中高年ファンだけを描き、ミュージシャンのまわりにいる色目を使うセクシー女もけっこう年輪をつみかさねた美魔女を登場させる(『レスラー』のマリサ・トメイどころじゃなくね!)。後輩のライブシーンで若い客を見せているのと対照的だ。でも、ちゃんとアクティブなファンはいるわけだ。カントリーだからということじゃないだろう。クラシックロックだって、どこからみても中高年の音楽だ。いまイーグルスTOTOみたいな70年代から活動していたバンドがオリジナルメンバー込みで活動再開して、けっこうなビッグアリーナで観客を動員しているという話は聞く。いまの60代はアメリカでも、そして日本でもポップカルチャーといっしょに育ってきた人たちなのだ。縁側でこぶ茶なんてすすらない。

お話は見ていて楽だ。そもそもこれ、ときどきある「全員善人映画」だ。彼の尻を叩くマネージャーもなんだかんだいって見捨てないし、ファンにも嫌な奴はいない。地元の若いミュージシャンは彼をリスペクトして「勉強なりまっす!」的スタンスだし、バッドの一番のにがみである、自分を追い越してスターになってしまった後輩のトニーも、じつは礼儀も感謝も忘れないいいやつで、ちゃんと彼に恩返しするのだ。地元のヒューストンに帰れば旧友が暖かく迎える。
それにバッド自身「堅実に暮らすなんてできない男で、ちょっと自暴自棄になってアルコール依存症になり、このままだと体をこわすと医者にいわれている」設定のわりにはそんな自己破壊的キャラじゃない。わりに温和だし、酔っぱらってライブの途中でゲロを吐いたりはするものの、ステージに穴をあけるような真似はしないし、ちゃんと地元ファンには応えるし、バツイチ美人の幼い子供ともすぐに仲良くなる。ジェフ・ブリッジス(『ビッグ・リボウスキ』『トゥルーグリット』)のどっしり感。アメリカ俳優でも貴重なのかもしれない。それに音楽だけは大事にしている描写がちゃんとある。

お話の後半で、依存症が原因でバッドはだいじなものを喪失する。彼が酒にかんしてあやうい感じになっているのは最初からずっと描かれるから、観客はいつかはなにかおこる….? →うん間違いなくおこる →いやおこらないと納得いかんぞ!? くらいになってきて、そのテンションからすると、一番緊張感のあるこのエピソードも思い切り予想の範囲内でありつつ、そうとう穏やかだ。はっきりいってこの映画のストーリーは観客をひっぱっていくようなものじゃない。
この映画はやっぱりカントリーミュージックを魅力的に描く映画なのだ。主演のジェフもコリンもちゃんと自分で歌う。ひとつひとつのライブシーンが適当じゃない。まず音がすごくいいし、ジェフのどさ回りライブでも(彼にとってはマンネリでも)音がおなじで飽きられないようにちゃんと編成を変えてくる。最初は若手ミュージシャン(ほんとの若手が地元ミュージシャン役でプレイする)のタイトなギターポップ風のサウンドと競演。次の会場では意外に上手いピアノ弾きがいて、ホンキートンクっぽいピアノと。次の日はアコーディオン奏者が出てくる。スチールギターとの競演もある。大きな会場ではわざわざリハーサルのシーンを入れて、楽器ごとの音量バランスを変えさせるバッドを描く。バランスを変えた前後をちゃんと聴かせるのだ。それにアコギをつまびくバッドの姿。友人が鼻歌というには本格的にアカペラで歌う曲……カントリーはぜんぜん聴かないぼくでも、音のよさもあってどの曲もすごく気持ちよく聴いた。ちなみにアカペラで歌うバーマスター役のロバート・デュバルはカントリーに縁が深い俳優で、この映画自体のキーマンみたいな人だそうだ。

舞台はヒューストンからニューメキシコあたり。ぼくたちがばくぜんとイメージする中西部の風景をまるで裏切らない、絵に描いたような、広すぎる青空がえんえんと広がる乾いた風景の中をバッドはぼろいステーションワゴンで旅をする。物語の最初から最後まで晴天だ。この映画はかなりの低予算(700万ドル)で、だからかふつうの店やモーテルや家でロケしてるっぽい風景が多い。逆に音楽もキャストも風景になじんでいていいかもしれない。きれいすぎないしね。大会場のライブシーンは、ひとつは実際のライブに飛び入りさせてもらって撮ったそうだ。ラストでもう一度後輩トニーのライブに客演してるらしいバッドが写る。高台にありそうな半屋外の眺望がすてきな会場で、ここはSanta-fe opera houseだ。