八日目の蝉


<予告編>
ストーリーは予告編でだいたいわかります。
正直、泣けた。さすがに泣けるでしょうこれは。角田光代の原作小説を読んでいないからこれでも十分長いし丹念に描いていると思ったけれど、愛読者のなかには「はしょりすぎ」みたいな感想がけっこうある。終わりが見えている(もしくは未来が見えない)「母」永作博美)と幼い「娘」(のちの井上真央)の日々。その中でのちょっとした幸福とか心のひだみたいなエピソードをじんわりと味わう部分がけっこう大きいのかもしれない。小説では、前半に、えい児を誘拐、その子を娘として育てながら逃亡する「母」の4年間を描き、後半は両親の元へ帰り20年近くたった娘が、失われた記憶とそのときの思いを取り戻す、その日々と旅とを描く。映画では時間がはなれた二つをうまく重ねてカットバックで話を進めている。前後半でぱっくり話が分かれているよりずっとよくなっているはずだ(少なくとも映画としては)。

女優たちはみんな十分にいい。アルモドヴァルの映画じゃないけど、この映画、男の存在感はうすっぺらく、無責任に妊娠だけさせて自己保身にはしるようなろくでもない存在だ。正面から自分の問題に向き合っているのは女性たち。主演級の「母」と「娘」はもちろん。井上真央の芝居はほぼ初めて見たと思うが、しっかりものだけど心を開かない女性の感じがなかなかだ。巨乳を押さえ込んで男性恐怖の女性を演じる小池栄子もいい。脇役だけど市川実和子も美しい。そのなかで一人だけ過去と現在をつなぐ大事な役割を果たす男が小豆島の写真館のあるじ(田中泯)だ。うすぐらい写真館に座っている時点から身体のうつくしさが単なる老人じゃないことが一目でわかる。そして20年ぶりに島を訪ねてきた娘に過去の母親のメッセージをつなぐのだ。
逃亡の前半で、子供をさらったはいいけれど途方にくれる彼女がころがりこむ、修道院のような教団がある。ぐうぜんの出会いで、彼女は安息の場所を手に入れるのだ。彼女は受入れられ数年をおだやかにすごす。なんか上手い具合に救いがあるもんだね、と少々思わないでもなかった。実は小説ではそもそも彼女は父の遺産数千万円を手にしていて当面は生活できる体勢があり、その教団は財産をすべて没収したうえで女性たちを迎え入れる団体だった。そりゃずいぶん流れが違う。映画ではそのあたりはぼやかして母の必死さをよりわかりやすくしている。