ハート・ロッカー  キャスリン・ビグロー


<公式>

主人公が場面ごとにバージョンアップしていく物語。同僚たちが彼の見えなかった面をじょじょに理解していくプロセスが描かれ、それを観客も共有する。

まずプロの面だけ見せて
1.0.0:戦場をゲームか自分のスキルを発揮する場としてしか見ていない(=心がない)、だからこそ無敵の主人公
1.0.1:自分の任務には忠実で危険をかえりみず徹底的に遂行するが、チームのことは顧みない、自分勝手なプロ
人間的な面もだんだん
1.1.0:物売りの現地人の少年と仲良くなるような人間的な面も見せる
1.1.1:敵兵との銃撃戦ではチームのサポートに徹する、戦友でもある面が見える
人間的になった彼は敵にたいしてヒューマニスティクな怒りを覚えて、逆に完璧性をうしなう
1.2.0:少年の体内に爆破装置を埋込んでいる敵のやりかたに、はじめて単なる「ゲームの相手」以上の感情を抱く
1.2.1:死んだと思った少年の家を訪ね、個々の人間として見ていなかったイラク人を、はじめて知性も感情もある文明人として認識する。そして迷路のような町をさまよい、脆弱な一個人としてイラクにいる自分を認識する
1.2.2:それを引きずり、夜間の爆破事件を処理にいったついでに、チームを強引に引きずって市街地に入り込み作戦失敗する
自己認識
1.3.0:体に爆破装置をくくり付けられたイラク人の救出に失敗する。死の恐怖をうったえる同僚に、「自分はそれを感じないんだ、なぜだろう?」と問い返す。はじめて自分の特殊性を認識する
アンインストール:除隊して家族のもとへ帰り、スーパーで途方に暮れたり、雨樋の掃除(ああ、日常ってなんてくだらないことの集積なんだろう・・)する。そして赤ん坊相手の独り語り。人生で本当に好きなものはだんだん減っていく。自分にはもう一つしかない・・
バージョンアップ、再登録
2.0.0:自分が戦場でしか本当に生きられない、ある種のフリークだという自己認識込みで、再び戦場に戻る

はじめは非人間的な対象物でしかなかったイラク人たちが、やがて自分より知性があるような非暴力的なイラク人との出会いで価値観がかわり、むしろ自分が野蛮じゃないかという疑念をいだく。このパターンはよくあり、『第9地区』もそのモチーフだった。