ソウル・キッチン

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突然だけどこの記事、ヒマだったら読んでみてくださいな。 錦糸町のリトル・バンコクを紹介している、僕のすきなコラムだ。自分で店を経営しているタイ人のおかみさんたちが、店をバックに誇らしげに映っている。(追記。リンク先は消えてしまいました)
なんで急にこんな記事を紹介しているかというと、この映画、つまりはそういう話だからだ。舞台はハンブルグ。監督ファティ・アキンはトルコ移民の2世、主人公ジノス(アダム・ボウスドウコス)はギリシャ移民の2世だ。ちなみにギリシャ移民というのは、ドイツではトルコ移民を除くとイタリア、ポーランドに次ぐ多数派だ。1950−1960年代に労働力としてやってきた人々とその2世、3世で、ジノスもゲルマン系の幼なじみがいる設定だ。ホワイトカラーも多いけれど、自営業はレストランや小売業が圧倒的におおい。
ジノスも河に近い古い倉庫を改造した安食堂を経営している。この物語は彼の色々なものへの愛着によって動いていく。恋人、家族、音楽・・・で、なによりこのボロいレストランへの愛着だ。さっきの記事にあった、店をバックに映る店主たちの写真。僕がすごくそれが好きなのは、人と、まぎれもなくその人がつくりあげた空間の、なんともいえない親密さがそこにあるからだ。それは自分が住んでる部屋に内面がにじみ出るのともちょっと違う。店=自分の世界は社会に開き、他人を受入れるためにある。仕事の場だから、社会に向けた自分の存在証明でもある。ジノスと店にもその親密さがあるし、彼は店を通じて社会につながっている。

ジノスは、ひょんなことから気難しいが腕のいいシェフを雇い入れる。はじめは馴染みの客がいやがっていなくなってしまうけれど、段々と味が評判になって店は繁盛しはじめる(ちょっと『かもめ食堂』的で、ファンタジックといえばそうなんだけど)。お店の音響システムを充実させ(超いわくつきのアイテムで、だが・・・)、厨房機器をホームセンターで揃えたみたいなのから一気にステンレスのプロ仕様に変え、滞納していた税金を払い、週末は入れない客が大騒ぎするくらいになる。ところが地上げを狙う不動産屋の罠にはまると、絵に描いたような悲惨なできごとがたて続けにおこり、気がつくと主人公は身ぐるみはがされたみたいに、すべてを失ってしまう。それでも・・・という話。
ストーリーはほとんどご都合主義のところもあるし、恋人の裏切り、縁を切れないダメ兄貴、典型的悪徳不動産屋の罠、そこからの逆転劇・・など正直ストーリーのパーツにはあまり新鮮味がないから展開の予想がついてしまうとこもある。キャラクターもリアルで複雑、というよりは割と記号的な連中も多い。超ベタなギャグもある。基本的にシンプルなコメディだ。でもどこか憎めないんだよなぁ。

流行りはじめた店はライブハウスになったりDJイベントの会場になったりして、若い客たちがノリノリで大騒ぎする。店はどっちかというとギターバンドのライブやブラックミュージック系がかかる。そのあいだをシェフの料理の皿が飛び交う。でもふっとその祭りは終わる。ジノスは中国に赴任した恋人を追って、店を兄貴にあずけて自分も中国に行こうとしていたのだ。この、祭りとその終わりの感じ。監督はインタビューでいっている。自分は12歳のころからクラブに出入りしていて、クラブシーン、音楽が自分のライフスタイルそのものだった。でも年齢とともに、このスタイルも終わりかなと感じている。この映画はその別れなのかもしれない・・・そういわれると、パーティーの最後はこれ以上ない下品な乱痴気騒ぎになって、その後しらじらとパーティーの終わりの時間が描かれる。そして長い時間がたってレストランにまた灯がともったとき、そこは静かに愛を語る場所に変わっていたのだ。