シン・レッド・ライン


<予告編>
最前線物語』とくらべるとこの映画の不思議さがよく分かる気がする。まず脱走兵たちの開放感にあふれた平和な日々から始まる。メラネシアの穏やかな海と穏やかな人たちがパラダイスみたいに映される。彼らが仕方なく部隊に戻るところからやっと物語がはじまるのだ。
戦争映画のキモって、あまりにも凝縮された成長のサイクルにあると思う。主人公たちはしばしばイノセントな新兵として戦場にたつ。入隊訓練の同期たちだから、男子校のクラスみたいに悪ふざけしながら半分浮かれた顔で戦場に放り込まれると、残酷なくらい急速に彼らは成長させられる。ふざけあった仲間はあっという間に減っていき、生き残ったものは殺すことにも殺されないことにも熟練していく。そしてある日、のんきな新兵が後方からやってくると、おなじ頃の自分たちがいかに無邪気でアホだったか気がつく。でもせいぜい数ヶ月前のことだったりするのだ。そんな早すぎる成長の帰結として、当然早すぎる死が物語の終わりになる。

この話では、主人公の2等兵(ジム・カヴィーゼル)ははじめからイノセントな新兵じゃない。一度戦場にうんざりして逃げだした男だ。彼は成長したのか、単に腹を決めて自分の居場所に順応したのかわからない。最後の方で、逃げつづける兵士と再開するシーンもある。どちらがどうというんじゃなくて、すでに二人がそうとうに違った人間になっていたことだけが描かれるのだ。はなしは群像劇というべきで、ショーン・ペンジョン・キューザックイライアス・コティーズも見せ場がある。そのなかで『最前線物語』の老軍曹とは違う老中佐が絶妙すぎる。ニック・ノルティ演じる根性派風の中佐は、あきらかに能力に限界はあるけれど、かといって他の良識派より劣っているともいいきれない、彼らのだれが正しいかは、けっきょく巡り合わせなんじゃないかと思わせる、みごとに判断を保留した人物像なのだ。
戦場という空間も『最前線物語』とはずいぶん違う。テレンス・マリックらしく、熱帯の島の林も草原も川も、妙にみずみずしいのだ。川もヒル寄生虫がいそうな泥水じゃない。さらさらと流れる、思わず身を浸したくなるような清流だ。全体にガダルカナルというより(いったことないんだが)牧草地帯みたいな、草原の小さい山々は、もう少し平均気温の低い地帯の風景みたいに見える(ロケ地はオーストラリアが多い)。そんなみずみずしい自然と、突然の銃声や爆発音や硝煙の対比が印象に残る。

さわやかな自然だけじゃなく、全体に静かな戦争映画だなぁと思う。内省的だし、それから兵士たちが何度も回想する、故郷に残してきた恋人や妻のすがたが戦場と交互に映されるのだ。『最前線』ではそもそもそいういう主観シーンはゼロで、それが映画の味だった。こちらの映画では、記憶の中の彼女たちのシーンはひたすらに静謐で夢幻的で、その繰り返しの中では、丹念に描かれた局地戦の現実感も、なんだかあいまいになってくるような、そんな映画ではあった。