トウキョウソナタ 


公式
2008年の東京と、そこにいる家族を題材にした寓話、象徴劇。かつて標準的だった、サラリーマンの夫と専業主婦の妻、大学生と小学生の息子の4人の家族。その家族の全員がそれぞれの転機や危機をむかえて、やがて家族は…という物語だ。
ここで描かれているような東京を「外から見ている」ことに、たぶん作り手たち(監督・脚本家)は意識的で、だからそうと分かるようにあえて細部をフィクショナルにつくった。彼らが目指した「リアル」があるとすれば、おそらくそれはディティールの先のレベルにある。映画は3カ国合作で、日本で長く暮らしたオーストラリア人マックス・マニックスの脚本をベースにした監督たち3人の共同脚本だ。
夫のリストラや息子たちの模索や妻の内面的な危機、どれも表面的に見れば現実味がうすいから、そこに違和感を感じる観客は入り込めないだろう。たとえばリストラ。主人公はリストラをいいわたされたその日に会社をやめ、その足で派遣村めいた食料配給の列にならび、ハローワークに行く。一連の描写は常套句的でありつつ、表現主義的なシーンがさりげなくはさまって不思議な違和感をかもしだす。たとえばハローワークの必要以上のダークさ、無表情な通勤者の行進、配給の列の行進。この「列」というのはシンボリックなモチーフとしてなんどか繰り返される。公園の配給でぐうぜん出会う、リストラされたことを家族に隠していた(つもりの)友人は、リストラ人の戯画として主人公の描写を補強するが、彼のゆくすえは、作劇上の工夫もなく、ほんらい話す立場でもない脇役によって簡単に説明される。
そして息子。長男はアメリカ軍外国籍部隊に応募、入隊し中東に派遣される。入隊審査も、希望者の「列」がワンシーン写されるだけで、入隊以降はまったく何の描写もされず、物語から事実上消滅してしまう。日米関係もそれ以上掘り下げられるわけじゃないから、自衛隊入隊→中東PKO派遣でもよかった気がするが、他国の軍隊に入隊することで長男はより「遠く」へ行くし、やはり現実感はうすく、より象徴的になる。
そして舞台であり、ひとつの主人公でもある東京という街。かれらの家は井の頭線沿いにある築30年くらいの戸建住宅。主人公が無職になってうろつく公園は品川区の運河沿い。子供は学校帰りに原宿や恵比寿の裏通りを歩く。主人公が働いたり、妻とばったりあうモールは典型的な郊外型の大型モール。そこから駆け出すと砧公園の近くに行き付いたりする・・・もちろん絵になる場所、撮影しやすい場所をもとめて色々な場所で撮ったものをつなぐのは当たり前だが、このつながりは「東京」を知るものにとってはリアリティがなく見える。でも、だから東京じゃなくトウキョウ=TOKYOなのかもしれない。パッチワーク的な、日常使いのTOKYOの紹介というならわかる。でもなあ。できたらTOKYOのトポロジーも含めて表現してほしかった気もする。
そんな寓話的な描写もあるけれど、母親役の小泉今日子の、芝居がからない淡々とした演技でドラマは意外に自然に見える。あまり笑わないし、怒る場面も必要以上に声を張らないし、出征する息子との別れでもチープに泣いたりしない。大抵のことはなんとなく受け入れてしまう母性、逆に言えばそれに抵抗するパワーもない無力な母親の雰囲気そのものだ。彼女はその容貌に夏木マリ的怖さを獲得しつつあるが、たまに見せる冷ややかな表情に(夫にだけ向けられる)それが見えたりするけれど、かわいさのなごりもある。すごく好感もてる演技だった。香川照之はもちろん(ときどき動きがコミカル)、長男(小柳友)次男(井之脇海)とも無理がない。
そんな感じで中盤までは統一感があったところに、一人だけまったく違うテンションで舞台劇風なおおげさな芝居をしてしまうのが名優、役所広司だ。彼はぜひ出演したいと希望して、監督が急遽強盗役に配役したという。役自体、<強盗=妻との共犯的な逃走者>という、フィクショナルでちょっと常套句的な設定だし、撮影の途中参加で呼吸が飲み込みきれなかったのかもしれない。残念だけど彼が出てから一気に茶番劇じみてきて、せっかく面白い役作りだった小泉今日子まで、その演技に呼応したのか、別人みたいなハイテンションなキャラに変貌してしまったのだ。ここは惜しまれる。強盗のキャラクター設定の時点ですでに惜しまれる。
ある夜、夫と妻と息子の3人はそれぞれに家の外に出て、それぞれに最底辺に落とされる象徴的な試練にあう。ここではほぼ完全にリアリティは捨て去られる。夜が明けると家が古典的なまでに再生、回帰の場として機能しはじめ、ラストは息子のピアノが家族の希望として鳴り響いてほんわかと物語は終わる。家族の崩壊と再生、その中心に小泉今日子がいるという部分で、『空中庭園』にわりとかぶるところがある。面白いのは『トウキョウソナタ』よりずっとひりひりと居心地悪い『空中庭園』(こっちのお母さん役の小泉今日子は序盤から相当怖かった・・・)でも終盤で急転直下いいかんじに家族がまとまりだして再生してしまった。
それにしてもなあ。終盤の唐突すぎる試練と再生は、ちょっとラストに無理やり結びつけた感じがどうしてもする。ドラマ上、それぞれの暗黒があって、帰る場としての家にむすびつくのはわかるけど、やり直しへむかう動機がけっきょく明確にはしめされないで、なんとなくな「死と再生」的な雰囲気におさまってしまうのだ。