ファミリー・ツリー


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ストーリー:ホノルルに住む弁護士、マット(ジョージ・クルーニー)の妻エリザベスがボートの事故で昏睡状態になった。どうやら回復のみこみはない。2人の娘をかかえたキングは<その時>の準備をはじめなければいけない。でももう一つ頭が痛い問題があった。ハワイ王族の末裔であるマットは、一族がずっと所有しているカウアイ島の広大な土地の処分を決断しなければいけないのだ。処分すれば一族のみんなに巨額の財産が入る。でも…… そんなマットに追い打ちをかけるように、さらに心を乱すできごとを姉娘のアレクサンドラにおしえられる。
この映画はどうしても監督の一番の成功作『サイドウェイ』とくらべられるだろう。本作はそれいらい7年ぶりだ。『サイドウェイ』はこじんまりとした物語ながら、一見「大人の小粋な出会いの物語」風かと思いきやなんとも苦々しい、人生リセットをせまられるミドルエイジのお話だった。その映画で主演をやりたがったジョージ・クルーニー。監督は役柄にたいして大物かつ売れっ子すぎるジョージじゃ釣り合いがとれないとことわったのだ。そして今回は満を持してのジョージ。ハワイのさえないおじさん役、かつ全般的にくすんだ夫の役なので、体もちょいゆるめ、ファッション的にもそうとうださめでまとめてくるが、そこはやはりジョージ。アップにしたときの顔の絵になりすぎる感じが、やはり「妻の魅力につりあわないさえない男」のだめさでは、ない。

お話自体は原作読んでいないからなんともいえないけれど、この構造はじつによくあるよね。両親のどっちかがいなくなってしまう。残された親はひとりで子供たちと向き合わなければならない。『フローズン・リバー』はそうだった。『おおかみこどもの雨と雪』もそう。『となりのトトロ』も(死んではいないけど)、あとあれか『北の国から』。この変形としては父がいなくなって親代わりの姉が頑張る『ウィンターズ・ボーン』がある。
本作は『トトロ』的といってもいいかもしれん。こどもは姉妹で、幼児である妹は、いうたらアニマルだ。子供らしい破天荒さで笑いをよぶし、その一方何を考えているのかきちんと対話して理解するのはむずかしい。愛する対象ではあるけどちょっと「他者」的存在になる。それにくらべると姉は子供でありつつも、妹の保護者でもあるし、親の気持ちも少しわかるし、きちんと対話もできる。つまり物語上、観客のよりしろにもなり、うっすらと妻の存在をおぎなう存在にもなる。それを考えると、この映画、お姉さんのアレクサンドラが美女キャストなのはなるほどといわざるをえない。
妹は『リトル・ミス・サンシャイン』の末娘的な、美少女というよりはじゃがいも娘系の女の子だ。姉妹、逆じゃないんだよね。妹はエピソードを供給するだけの役。姉は、最初は少しぐれて登場したものの、すぐに父に同情的になって、中盤のキモである、父がある敵を追い求める捜索のパートナーになる。そしてそれとひきかえに沈黙しつづける妻は「失われた美しいもの」であることをやめてしまう。簡単にいうと、夫と妻は事故の前から冷えきった関係で、しかもどうやら妻は不倫さえしていたのだ。夫はそれなりに妻を愛しているけれど、たぶん社交的すぎて、魅力的すぎる妻は夫にあきたらなかった。だから妻の存在は夫にとって苦しみの源泉でもあったのだ。夫の敵というのはその不倫相手だ。

しかしさ、「家族の喪失と再生の物語」的な、なにか壮大ないい話を期待してたわけじゃないけど、話のコアがものいわぬ妻の不倫相手探しと断罪かよ、っていうのはある。まあ意外性はあった。死者(死んでないけどな!)をむちうつ話だからね。ふつうの家族モノでだれかが失われたら、だいたい徹底的に美化されるだろう。そうすればするほど分かりやすく泣ける話になるわけだし。そこであえて失われたひとを微妙すぎる存在にすることで、心の中でもそいつには頼れなくなり、たしかに独特の「残されたおれたちで団結しなきゃな」感は出た。でも話の目的がじゃっかん下世話になり、もうひとつのテーマである、ハワイの環境と歴史、「祖先から受け継いだ広大な自然の土地」をどうするんだ問題はなんだかとってつけたようになった。想像だけど原作(ちなみに原題は『The descendants(子孫たち)』だ)からそのあたりの映画にしづらい部分はじゃっかんはしょったのかもしれない。
でもね、これ、下世話だけどリアルでもあるんだよ。死に際で話がもれたり、死んでから明らかになったりで、ご立派な(もしくは悪さなんてできそうにもない)あのひとが、なにげに生々しいことをしてました、というのが露呈する話。いやほんとにある、じっさい。そいういうのもろもろ込みで送り出すんだよね。そういうことではあるな、たしかに。