ショーン・オブ・ザ・デッド&ホットファズ

Shaun of the dead
<ホットファズ公式>
エドガー・ライトサイモン・ペッグの愛すべき二つの映画。ストーリーは予告編で。これこれ(特にホットファズのはほとんど丸わかり!)
いまごろ見たけどすぐに好きになった。気持ちいいシンプルな展開と小気味良いリズム、プラスなんか独特な愛嬌がある。もちろん主演二人のチャーミングさが大きいけどそれだけじゃない気がする。たとえば舞台の選び方もいいのだ。一つは本格派ゾンビもの、もう一つは警官が主人公のバイオレンス・アクション+ホラーだけど、そういう映画にありそうな殺伐とした場所をえらばない。ほんわかと小ぎれいな、それこそカッコ付きの「英国」イメージぴったりの景色で撮っている。
ショーン・オブ・ザ・デッド』はロンドン北部の住宅地。中心まで直線で7〜8kmだけど郊外の雰囲気だ。かなしいことにぼくはかの地の土地勘がまったくないけれど、断片的情報によればそこそこの階層が住む小ぎれいな街が多いようだ。ショーン(サイモン・ペッグ)やエドニック・フロスト)たちがシェアするテラスハウスこのあたり。恋人のリズ(ケイト・アシュフォード)たちがシェアして住んでいるフラットはこれだ。ショーンの家とはじっさいでも車で10分くらいの距離。ちなみに2012年現在の不動産情報によれば、この建物、3ベッドルームのフラットを買うと5000万円近くする。結構な値段!でもレントだと月23万円くらい。3人で借りてシェアすればそんな無理なく住めそうだ。まわりは落ち着いたいい雰囲気の街。道路の街路樹はエルム(ニレ)かな? まるで旧山手通りみたいなしっとり感じゃないか。ショーンが働いている電気屋ここ。家の場所から車で20分くらいの距離だ。そして彼らの心のふるさと「パブ・ウィンチェスター」はここ。外観重視で選んだみたいで、ここだけちょっと離れたロンドン南部だ。

どこも空撮で見ると典型的な新興住宅地の街区の形。レンガ積み風のクラシックな建物だけど、まったく同じデザインの家がブロックのはじからはじまでびっしり並んでいるような街だ。こういう街は基本的にせいぜい中流までが住むものときまっている。それでも空は広いし、街中の緑が豊富で、テラスハウスの裏にはちゃんとバックヤードがあって芝生がきれい。そんな土地でのんびりうごめくゾンビたちなのだ。やつらがあんまり怖くないのは、人間だったころは温和な郊外住宅地の住民だったからじゃないか。
ここでは、たとえばティム・バートンが『シザーハンズ』で、ジョン・ウォーターズが『シリアル・ママ』で、サム・メンデスが『アメリカン・ビューティー』で、アンドリュー・ニコルが『トゥルーマン・ショー』で描いたみたいな、アメリカの郊外住宅地の「すてきな暮らし」の強迫性や排他性、嘘くささにたいするシニカルな視点はない。ショーンたちはひたすら居心地がよさそうに郊外住宅のソファにしっぽりと尻を落ち着ける。そこにはたとえば2012年のロンドン暴動で大暴れしたみたいなカウンシル・ハウス(公営住宅)の住人や移民もいない。いてもちらっと映るくらい。逆に知的階級の大学講師は嫌な奴キャラであきらかに仲間じゃなく、悲惨な最後が待っている...。
ショーンと友人たちはシェアハウスに安く住み、キラキラしたライフスタイルとは無縁で、休みは1日中ゲームをしていれば幸せ、仕事もあまり発展性がない、それでも大学出で一応まともな社会人として生きている。今の日本だったら一番共感をよびそうな人々なんじゃないの? イギリスでも共感する層というのがけっこういるのかな、としみじみ思う。リズが普通な感じでかわいいです。ちなみにゾンビものなので『吸血鬼』と同じ感じで話は進む。前にも書いたけどゾンビの設定はヨーロッパの黒歴史である猛烈な伝染病の記憶がベースにあるような気がする。
Hotfuzz
ホット・ファズ』は主人公たちが警官、それもペッグはエリート警官だからキャラクターはがらっと変えてきてる。そしてロケ地はロンドン中心部から一気に西へ220km走ったWellsというきれいな町だ。映画ではSandfordという村。クライマックスで出てくるこの広場。その他はこのすばらしいサイトで心行くまでロケ地ツアーを楽しめばいいじゃないかな。
この映画のストーリーは「あやしい村によそ者が迷い込む」という古い物語の祖型がはいっている。村には秘密があって、なぞめいた厳しい掟がある。ちょっと「どうか…?」というものでも、長い伝統にだれも反論できず、掟はひそやかに執行される。恐ろしい個人がいるわけじゃなくだれもがそれに加担している…「コミュニティの怪物性もの」とでもいうのかな。いろんな民話にもありそうだけど、映画でいえばオリジナルの『ウィッカーマン』なんかその典型だ。原始ヨーロッパ的な奇祭のある島へ入り込んだ男の運命をえがく、カルトムービーという言葉がぴったりの不安定な雰囲気だった。このサイトでは『リーピング』。アメリカ南部ミシシッピデルタ地帯の村に科学者がいく話だった。モチーフを簡単に借りたかんじで軽すぎたけどね。もちろん日本だっていくらでも例はある。「落人の村」伝説にさかのぼれる話だろう。時々ある「村の異様な習俗もの」映画はさておき、クラシックといえば横溝正史の一連のアレだろう… で、何がいいたいかというと、そんな陰惨になりかねない物語なのに(事実前半はちゃんとその空気になってる)、村の景色はあまりにものどかでかわいい景色で、撮り方も平和なままなのだ。
そしてクライマックスの銃撃戦。休日にはマーケットが開かれてにぎわうこの広場がスーパーコップのB級アクションさながらのド派手な銃撃戦の舞台になる。敵役の「あれっ?」という面々、この「カントリーサイドの素敵な田舎町」と銃撃戦というダブルのギャップがおかしみでもあるし、作り手の「素敵な田舎町」的なものとの距離感でもある。<村の悪役・敵役=高齢者>への距離感もおなじだ。村の虚構をひたすらに守り、そのためにあたり前のように異物を排除していく老人(という設定)。リッチな既得権益層であり保守でありコミュニティの隠然たる支配者である高齢者層への世代的反感を、ギャグにくるんでむしろストレートに表現してるみたいにも見える。もちろん、おばさんたちの2丁拳銃とかアサルトライフル乱射とか「ありえないでしょ」というネタ化して中和してるんだけどね。『ショーン』の日常生活空間からは少し離れたこの映画でも、あくまで「B級映画とか好きなオレたち」からみたこういう世界、っていうところはゆるがないね。