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ストーリー:中国系アメリカ人エブリン(ミシェル・ヨー)は経営するコインランドリーの税金申告に不備があり今日中に再提出しなくてはいけない。夫(キー・ホイ・クァン)は頼りにならず、娘とは何かと衝突、同居の老父の世話も大変。パニック寸前のエブリンに突如夫に乗り移った“別の宇宙の夫”が「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけ」と世界の命運を託す。何だかわからないうちにマルチバースにジャンプ、カンフーの達人級の力を得て、いつの間にか戦いの最中に。巨悪の正体は娘ジョイだった...!
祝、アカデミー7部門受賞。見ていて「たしかにある種の天才の仕事かも」って思った。メインのストーリーは「泣いた!」という人も多いように、ベタな家族の絆の物語だ。これだけ多要素のサブストーリーを散らしながら確実にそこを感じさせて全体を進めていく語り口。そして強者的な戦士が1人も出ないヒーロー映画が支持されたのは、いろんな人々への救いに満ちた映画だからじゃないだろうか。決してヒューマンストーリーでもないんだけどね。本作のマルチバースは冷徹な無限の宇宙のバリエーションじゃなく、「自分の、ありえたかもしれない世界」のことだ。
ところで、本作を語る中でADHDについてのトピックがある。初期設定では「エブリンはADHDで、だからマルチバースに飛べる」となっていたというし。エブリンは見るからに書類仕事が苦手だ。部屋も雑然して片付けに苦労してそう。申告の準備をしながら、あれやこれやと入ってくるノイズにいちいち振り回されて余計に混乱してしまう。そもそも自分を取り巻く世界自体が複数の世界に散っているみたいで統一性がない状態だ(この辺りについては、実際のADHDの方の丁寧な解説のYoutubeがあった)。
監督の1人ダニエル・クワンはADHDの世界を取り扱う中で自分も診断を受けてそうであることを知ったと言ってる。遺伝的な要素が発症におおきく影響するといわれるADHD。僕も十分可能性がある環境で、書類仕事や手続きごとが苦手で、若い頃からうっかり忘れや時間に間に合わないことが多く、割と気が散りやすいし、そうなんじゃないかと常々思っていた。ただもっと深刻な人を見てると、グラデーションの濃淡なのかもしれない。
見ていて本作の世界がそのまま自分ごととして入ってくるという感じじゃなかった。というよりは序盤、本格的なマルチバースをまたいだアクションが始まるまでの日常パートは、どっちかというと見ていて居心地悪かった。序盤のエブリンの急いた口調やハイテンション気味の感じ、そこにはどことなくリアルワールドでの既視感がある。もちろんそれは演出上の意図で、物語が本筋に入るとそのリズムは解消する。
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まあ、見た方はお分かりのように、それは一要素だしね。全体にとにかく語れる要素が多くて、逆にそれぞれをもれなく解説していると記事がどれも同じになるくらいだ。予算がない中で(20億円弱)、各バースは時にはありもののフッテージを使い、時にはシンプルな荒野の風景に意味を乗せ、何度も使いまわされる。
本筋には、移民2世として、自分たちと違う文化圏に属しはじめた娘が、ニヒリズムに陥って自分たちの世界から出て行こうとしている、そこにあえてうざいまでに母として存在して、娘を引き戻し受け入れる、親子の物語がある。強烈な母系の前に、父は『アバター』的なものとは全く違う、見守りつつ優しさによる調和を説く穏やかな仙人のような存在となる(序盤はアクションあるけど)。娘やその同性パートナー、敵だったはずの税務署窓口のハードな初老女性など、戦うのも連帯するのも女性が中心で、男性は惑星のように周囲をめぐる、というのも最近の語り口に近い。
全体に少し同じところをぐるぐる回りすぎの感はあった。戦いもひたすらにカンフーのバリエーションで、エブリンの内的変化につれて戦いのモードが変わりはするんだけどシーンとしての印象はあまり変わらない。家族のストーリーにそこまで入り込まなかった僕は少し冗長に感じてしまった。
ただ、途中で出てくる「この世界のエブリンは一番なんでも手を出して何もモノになってない。だからこそ一番ポテンシャルがあるんだ」というセリフ。いろんな人に救いを与えただろうね。