スイミング・プール


<予告編>
フランソワーズ・オゾン。ノーマークだったなぁ。見たことなかった。で、2作つづけて見た。公開順と違うけれど、まずこちら(以下、ややネタバレかも?)。
ストーリー:シリーズもののミステリー小説の人気作家サラ(シャーロット・ランプリング)は、最近そっけない出版社の社長ジョンに不満たらたらだ。文句を言いにいくと、気晴らしに自分の別荘にでも行ったら、とすすめられる。南仏の別荘でジョンと…と期待してでかけるサラだが、ひとりで部屋のなかでしけた食事をするだけ。ジョンは来ず、やって来たのはかれの娘だと言うギャル系のフランス娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)だった。ジュリーはサラが見向きもしなかったプールで泳ぎ、毎晩ちがう男をつれこんでみせつける。若さと美貌をひけらかすジュリーにむかつきを隠さないサラだけど、なぜか目がはなせなくなり、やがてミステリーそっちのけでジュリーを主人公にした小説を書き始める…

ものすごくざっくり自分の中の棚にいれると「小粋&ちょいセクシーフランス映画」のコーナーだ。すこし前でいえばパトリス・ルコントとかが入ってるとこだね。映像的にもそのあたりの雰囲気をちゃんとおさえているのだ。プロバンスの、のんびりした村はずれのしゃれた別荘。ゆったりした斜面にあって、砂岩の石積と階段が南仏っぽい。建物が一番高いところにあって、主人公がいる2階のバルコニーからは、一番低いところにあるプールが見下ろせる。木々に囲まれた、長さ10mもないような、でもけっこう深さがあってたっぷりと水をたたえたプールだ。ちょっと泳いで体を冷やしたあとにながながと横たわって日光浴できるようにプールサイドはひろびろとしている(このへんの感じ)。さんぽがてら村にいくと、オープンテラスの木陰がいかにもいごこち良さそうなレストランがあるし、お洒落な食材をそろえられる店もどこかにあるようだ。LACOSTEにあるサド侯爵の邸跡を見物に行くという名所紹介もわすれない 。そんな場所を、ちょっとクラシックなライティングや色調の、あまり解像度が高すぎない感じの映像で見せていく。

この物語は「虚構とはなんだ」についてのメタな話だ。物語世界のなかでの現実と虚構をシームレスに混在させて、観客の視線のよりしろになるサラは虚構をつむぎだすのが仕事だ。だから別荘でのできごとも、ジュリーとサラのお話も、どこまでが物語内での現実か、サラの想像か、解釈のはばが広い語り口になっている。
でも奔放な女の子ジュリーが完全にサラの創作だとすると、話は一気につまらなくなってしまう。金も名声もあるけど生身の人間としてくすんでいる女が、何も持たないのに、若いという一点で生きる楽しみを謳歌する女をひたすらにうらやんで、その関係がだんだんと変化して…というおもしろさが、当のくすんだ女の単なる創作だとするとね。それじゃ、奔放な娘は生のたのしみを抑圧している女の想像上の代償でしかないことになる。サラとジュリーの関係も、サラのフィルターをとおしたものになるわけだ。めんどうくさいよそれ。
で、そんなことは気にしないのがいちばんだ。そのへんの「虚実の皮膜」ネタは、見終わってからはぁあ、とほくそ笑めばいいことで、見ている間はサニエちゃんの色気をたのしめばよろしい。この手のお話でいうと『トスカーナの贋作』や、手法はちがうけれど『ユージュアル・サスペクツ』なんかが虚構性をネタにしている。でもこの2作ほど観客にたいするゲーム性によっていないと思う。たしかにスタート時点からだんだんと荒唐無稽度が高まったり、ジュリーのセリフにメタっぽいのが混じりはじめたり「んん?なんだ?」と思わせるようにしてはある。そのへんは軽くクエスチョンマークを頭の上にただよわせつつ見ていればいいのだ。
トスカーナ』にない要素といえば、エロだ。サニエ嬢は役柄にあわせて体型もチューンして、セクシーさだけが売りみたいなギャルになりきった。彼女はそもそも上品すぎないタイプに見えるし、声がときどき日本のヤンキー女風にガラガラ声になるところもそれらしくていい。カメラもむだに短くカットをわらずに、ゆったりとジュリーの姿を見せ続ける。それどころかランプリングも負けてはいない。最初こそ、ファッションから表情から食事のしかたから「たのしみを知らない女」ぶりを誇張気味に描いたうえに、体型のちがいまで観客の目に焼き付ける、といういじわるな撮り方だったけれど、後半になるとだんだんと女らしさが開花するつくりになっている。面白くも不思議なのは、ジュリーとサラの前に現れる男は全員えらくさえないやつらなのだ。一番若いのが30代なかばくらいの、ビジュアル系バンドに一人いる不細工男みたいなタイプ、あとはまごうかたなきおっさんや、庭師のおじいさんだ。これはなんだろう。やっぱりサラの欲望の限界というかぎりぎり残る抑圧みたいなものなんだろうか(ふつうに若いいい男じゃあまりにベタすぎるわ、という)

このお話はシンメトリカルにできている。つまり色んなところに対称が仕込んであって、「あれ?このシーンはさっきあったあのシーンの裏返し?」という軽いおもしろさがちょこちょことある。おおきな対称は、時間的にもまんなかあたり、サラがジュリーについて書き始めるのがきっかけになる。それまで苦い顔でキーボードを叩いていたのが急にスムーズになり、プールにも入るし、おいしい食事や地元の男たちとのおしゃべりも楽しむようになり…と彼女はどんどん解放されていく。するとそれまでは見せつけるだけだった側のジュリーが急に見る側に回り始めるのだ。それ以外にも2人の対称をわざと同じ構図で見せてみたり、細かいしかけがたのしい。
プールは最初カバーがかけられ、水面が見えても落ち葉が浮いてとても入りたくなる感じじゃない。それがどんどん奇麗で快適そうな雰囲気になっていき、サラの心と視線を誘うようになる。そして最後は見られるだけだったプール側からベランダにいるサラを見る関係になるのだ。彼女のおさえつけられていた欲求のシンボルとしてうまく使われているプール、位置関係としてもぴったりのロケーションだなぁと思う。