エクス・マキナ


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ストーリー:巨大な検索システム企業ではたらくケイレブ(ドーナル・グリーンソン)は見たこともない社長、ネイサン(オスカー・アイザック)の別荘に招待される。別荘はネイサン1人がすごす、秘密基地のような研究所でもあった。抽選でえらばれたケイレブが命じられたのはネイサンが開発した人型AI、エヴァアリシア・ヴィキャンデル)のチューリング・テストだ。エヴァと対話するうちに、あきらかにマシンだと分かっていても心が引かれていくケイレブ。エヴァののぞみは監禁されたこの別荘からの脱出だった…...

AIが独立した知能になりえるか、開発を続けるGoogle的企業のボス。話題としてはまさにいまっぽいし、いまふうの空気をまとった映像だ。人造人間もの、人工知能ものは、すごくざっくりいってしまうと2類型あるような気がする。つまり「創造する物語」か「出会う物語」かだ。前者は古くさかのぼると『フランケンシュタイン』になるわけで、いわゆるピュグマリオンものに入る。つまり人間が〈人間〉を創造する(基本は男が女を創造する)ことの制御不能さがストーリーになる。SFじゃないけれど、当ブログでいうと『ルビー・スパークス』あと少し毛色がちがうけれど『わたしが、生きる肌』はそんなお話だ。
後者は、『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』当ブログでいうと『her/世界で一つの彼女』などいくらでも名作がある。なんだろうな、前者はつねに「自由」をめぐる物語になる。根底には成長する子供の親離れの物語があるんだろう。後者は、うーん「他者ってなんだろう」というようなことかな? 人間だろうと他者はブラックボックスなわけで、人間じゃない動物とよほど心を通わすこともあるわけで、ぼくたちが心を通わせられる他者の条件ってなんなんだろうね、的な。これは人造人間である必要がないんだけど、いっぽうで機械やモノに人格的なものを見いだしてしまうぼくたちの習性もあいまって、なんともいえない哀感をただよわせたりもするわけだ。
このお話はその両方がはいっている。つまり開発者であるネイサンとエヴァの関係は、まさに被創造者が独立した意志をもって、だからとうぜん自由を求める、そんな関係だ。ケイレブとエヴァの関係は、とくに主人公ケイレブから見れば、マシンであるエヴァの、ビッグデータをもとにした振る舞いだとわかっているのにだんだんと心を動かされてしまう、その心理状態だ。

ストーリー全体でいうと、納得しやすい設定の説明が省略されていてすごくミニマルなので、入り込みきれない部分は正直あった。ネイサンは1人でじつは何体もAI付き人造人間のプロトタイプを作っているんだけど、工作としても相当レベルが高いそれの製造工程はどうなってるんだから始まって、エヴァの動力源は何なんだもそうとう気になった。もし外界に出たらどうやって動き続けるんだ? たしかその説明なかったと思うんだけど。ただ、うまいミスリードやサスペンス感もふくめて飽きないし、計4人の出演者がなかなか魅力的だったから、映画としては楽しめた。
ネイサン役オスカー・アイザックは『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』が印象的。濃い顔でありつつ妙に静謐な雰囲気があるんだよね。ヒロイン、アリシア・ヴィキャンデルは「機械が人間ぽい表情をつくっている」芝居をしているわけで、かつ最初は顔以外全部CGでありつつ、主人公の感情移入をよばなければならないわけで、なかなかむずかしいはずだ。でも人間くさすぎず、無表情でもなく自然に見られた。『コードネームU.N.C.L.E』の不二子ちゃんキャラがよかった。あと、3人にくらべると脇役だけど、ネイサンのメイド的なオリエンタル美女のキョウコ(ソノヤ・ミズノ)は無表情をとおすんだけど、それが西欧文化圏の人からみた東洋人の無表情とうまくとけ込んでなぞめいた存在になる。このまえ『ララランド』で見たな。

全編の舞台になる、山の中のおしゃれな別荘は、アメリカじゃなく、ノルウェイの旧氷河地域にあるJUVE LANDSCAPEというプチホテルだ。スノースポーツや渓流あそびや山歩きのベースをこんなおしゃれなホテルで…..いつも車中泊からスタートしているぼくからすると、想像つきにくいけれど、素敵なんだろうなぁ。 ちなみに映画にでてくる秘密基地っぽい窓がないエリアはスタジオだと思う。