裏切りのサーカス

<予告編>

この密度感。これだけ情報量が凝縮された映画はそうそうない。そしてひたすらなシブミ。抑制が効きに効いた無駄のない描写。派手なギミックが一切ないエレガントな画面(CGはもちろん使われてる)。原作はジョン・ル・カレの名作だ。
ストーリー :英国情報部MI6は所在地の名を取ってサーカスと呼ばれている。長年トップに君臨した‘コントロール’は極秘プロジェクトの失敗の責任を取って引退する。忠実な部下、‘スマイリー’も道連れでサーカスを後にするけれど、まもなく政府高官から呼び出される。組織の中にソビエトの二重スパイがいるという。スマイリーは秘密調査の担当に指名されたのだ。組織はコントロール亡き後、4人の幹部が支配していた。彼らの目をかいくぐり、現役職員も味方につけてスマイリーは調査を開始する・・

この映画は「見る前に予備知識を入れて下さい」とわざわざ呼びかけている。 素の状態では一度みても十分楽しめないのだ。別のメディアとあわせて見てね、って商業映画としてありなのか。監督トーマス・アルフレッドソンの前作『ぼくのエリ、200歳の少女』も最低限の説明で分からせるタイプだったけれど、お話がシンプルだったから一見で飲み込めた。こっちはそうはいかない。でも念のため言っておくと、ぼくも予備知識なかったけれど、映画としての魅力は十分すぎるくらい初見で伝わった。しきいが高いわけじゃない。

冗長なくらいディテールが書き込まれた原作を映画はスパスパといいテンポにアレンジしている。ばっさり省略はしていないし、原作にないシーンも追加されている。ストーリーの進行が早く無駄なシーンが入る余地はないはずだが、だからと言ってダイジェストっぽいわけでもなく、シーン自体はちゃんと見れる。
かつての仲間に放逐され、その仲間の裏切りを突き止めるために行動するスマイリー。「いま」の苦さを際立たせる、何年か前の職場クリスマスパーティーのシーンが何度も挟み込まれる。映画オリジナルのシーンだ。疑う側疑われる側、追う側追われる側、裏切る側、犠牲になる側、パーティーではみんなそこそこに楽しそうだ。ちょっとしたセンチメンタルな感覚を映画にトッピングしてるわけで、かつ、複雑な関係がなんとなく確認できるようになっている。

ところで。『クライングゲーム』とか『マイ・ビューティフル・ランドレット』『アナザー・カントリー』『モーリス』… 見た人ならわかりますよね。どれも主人公をめぐる同性愛の関係が物語の核になってるイギリス映画だ。で、この映画も濃厚にその空気がある。主要プレイヤーはすべて男だから(しかもおっさん率高し)無理ないとも思うんだけど、原作では友情とも愛情とも読める関係だった二人が、より愛情方向の描かれ方になっていたり、あるエージェントは別にゲイ設定である必要もないんだけど、プライベートで男の恋人と同居していたり、カメオで出ている原作者ル・カレもゲイの図書館員の設定になってる。濃厚さが増している雰囲気なのだ。
シングルマン』で同性の恋人を失って絶望する教授を好演したコリン・ファースがまたしても...なことになっている。原作でもバイセクシャルかつカリスマ的なエージェントの設定だ。群像の中に入ると、コリン・ファースはそんな派手な顔でもないのに不思議にグラマラスな雰囲気がある。彼の演ずるビルはある女性に対しても容赦なくいく。この物語ではエージェントにとって女性への思いは常に弱味になる。あるスタッフが窮地におちいるのも美人ロシア妻にほれてしまうからだし、スマイリーの唯一で最大の隙は妻への思いなのだ。

基本、アクションいっさいなしのスパイ映画だ。原作ではチェコに派遣されたエージェントが派手な銃撃戦にまき込まれるんだけど、それもハンガリーの街中での小規模な、それでいて緊張感は高いシーンに変えられている。スマイリーが一度だけ拳銃をあいてに向けるシーンは、達人がすっと真剣を構えているみたいな静の緊張感だ。テイストはもちろん多少違うけれど、『ジャッカルの日』に近いかもしれないね。あれもプロフェッショナル同士の頭脳戦で、だれもが目立ちたくない、抑えめの雰囲気をただよわせた。昔『スパイのためのハンドブック』を読んで、そうか本物のスパイというのは、走る列車の上で追いかけっこしたりしないで、仕立てのいいスーツを着てシャンパンを飲むんだ…と夢をふくらましたものだった(書き手はモサドの元エージェント)。映画の雰囲気は、そこからゴージャスライフと楽天性を取り除いたみたいな世界だ。時代的にいうと『ザ・バンクジョブ』の頃のロンドンだね。


『ジャッカル』との共通点はシトロエン。とうぜんのDSだ。『ジャッカル』から約10年後の設定だから後期型のDS21パラス。ベネディクト・カンバーバッチ演ずるスマイリーの有能な部下が運転する。ある人物を拉致して空港につれていくシーンがある。金属色にポリッシュされたパイパーの小型飛行機がスタンバイしているところに、シャンパンカラーのDSがアプローチしていくのを、低い位置から超望遠レンズで追うのだ。このシーンも派手なうごきはいっさいないのにしびれる格好よさだ。

車と言えばAlvis TD21というのが出てくる。ハンガリーで絶体絶命におちいったエージェントの愛車だ。アルヴィスというのは戦前からあったスポーツカーのビルダーで、そのボディーはロールスロイスとも関係が深いコーチビルダー(車体専門の工房)で作られていた。映画の時点から10年ちょっと前のそうとうな高級スポーツカーだ。重傷をおわされて拷問にかけられ、退職をよぎなくされた慰謝料であこがれの高級車を買いました、的設定なんだろうか。

というわけでまあ、最初に書いたみたいに情報量がとにかく多いよ!好きな人なら確実にはまる映画なので、どうぞよろしく。ていうか最高でしょうこれは。役者全員格好いいし、ヒロインのロシア美女も好みだし。
映画のカラーをよく表している監督の言葉。「1970年代に初めていったロンドンはグレイと茶色の街で裸電球が目立った、今のロンドンは<白い街>、当時のロンドンはまるで別の場所で、戦争の空気がまだそこらじゅうにある<黒い街>だった」(超訳