ブラック・ダリア


<公式=ほとんど情報ない…>
1940年代後半におきた実在の未解決、猟奇殺人事件を題材にしたJ.エルロイの小説が原作(読んでない)。この事件は死体の損壊がすごく猟奇的に見えたうえに、被害者が女優になりたくてなれなかった美女で、ハリウッドのダークサイドへの妄想がかきたてられる、猟奇犯罪愛好家には有名な事件。映画は、その事件にからむ二人のロス市警の刑事を主人公にする。二人のチーム結成から事件の解決までがストーリー。未解決事件にオリジナルの真相をぶつけてみせている。これにロス市警の腐敗ネタやファムファタール要素や、もうひとつこの手の物語でおなじみのモチーフをミックスした、フィルムノワールパスティーシュだ。
映像はけっこう満足度高い。制作年代がちかく同じ原作者ということで名作『LAコンフィデンシャル』とどうしても比べられるけど、画面の雰囲気はもっと流麗かもしれない。ライティングがたぶんものすごく巧みなんだろう、夜のロサンジェルスの暗さが印象的だ。ロケはLAの実在の建物とブルガリアのソフィア。ドイツ表現主義風(?)というのか、役者そのものを映さないで影に語らせるみたいなシーンもある(初期のフィルム・ノワールはドイツから逃げてきたドイツ人監督が多かった)。過去の名作オマージュはデ・パルマの作風なので、他にもオマージュ的シーンがいくつも仕込まれている。わかりやすいとこでは主人公とヒロインがはじめてセックスするシーン。別に急いでもいないのに料理をぜんぶ払い落としてキッチンテーブルではじめてしまうのだ。郵便屋さんもびっくりだろう。この元ネタもノワールの重要な1本だ。ある殺人で二人が回り階段の吹き抜けを転落するシーンもいかにもな映像。それ以外ヒッチコックの引用はこのかたが詳しく書いている。
映画は二つの対比でいろどられる。一つはふたりの刑事。彼らははFire&Iceといわれる名物コンビ。二人とも元有名ボクサーなのだ。でも刑事ドラマの相棒ものみたいな関係じゃない。先輩のリー(アーロン・エッカート)は明らかに裏に何かある「謎」の側、若いバッキー(ジョシュ・ハーネット)は観客と同じ視線でその謎を追う側だ。二人の関係は『ゴーストライター』の新旧ライターの関係にも似ていて、バッキーがさぐる真相はすでにリーが掴んでいた。映画のおおまかな構造は、先行する「兄」もしくは「父」的存在がはたせずに挫折した課題を、それを乗り越えた「弟」もしくは「息子」的存在がうけつぐ、というオーソドックスな物語だ。
もう一つは白と黒の女性の対比だ。白は善玉ヒロイン、リーの恋人のケイ(スカーレット・ヨハンソン)。彼女もダークな過去を持っているけれど、今はほぼ男たちを見守るだけのか弱い女性の立場だ。衣装もあかるいベージュや白っぽい色で髪はブロンド、見るからに「明」の側だ。ラストなんて救いの象徴みたいに露出オーバーで白くかがやいて映る。黒はなぞめいた富豪の娘、マデリン(ヒラリー・スワンク)。彼女は毎晩ちがう男や女をあさって母や妹に軽蔑されていて、殺されたエリザベス=ブラック・ダリア(ミア・カーシュナー)にそっくりだった。ブラック・ダリアと同じように黒い服だけを身にまといバッキーを誘う、いわゆるファム・ファタールの役回りだ。ちなみにヒロイン二人はあんまり好みじゃなかったなー。ケイは真っ赤に塗った厚い唇がぼってりしてなんだか品がないし、マデリンは正直この役にはちょっと歳をとりすぎて顔に険がある。バッキーが彼女の美貌に一目惚れしてそのセックスのとりこになり、ぐずぐずになりかかる(ここもノワール的展開)のに「そこまでかぁ?」って見えてしまう。ミア・カーシュナーは死体で登場するから場面は少ないけれど、証拠映像の形ででてくる白黒のフィルムで悲しげないい芝居をしている。ポルノ映像に出演させられて辛そうな顔をしているシーンがあって、ミア本人もこのシーンは嫌でしょうがなかったみたいだ。
「白」がそこまで白くない

物語中盤から巨悪感のある富豪が急に存在感を増してくる。不動産で財産をきずいた倫理にしばられない男だ。これもノワール的な物語には欠かせない。歴史的に多かったのか、元祖になる作品があったのか…LAハードボイルドの名作『チャイナタウン』はまさにそういう話で、怪物的な富豪が実の娘もその巨大な欲望に巻き込んでいくストーリーだった。この映画でもちらっとその可能性がにおわされている。あと、ハードボイルドにオマージュをささげたコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』にもつかみどころのない富豪が出てきて主人公たちを引きずり回す。富豪は「汚れた血脈」とか「過去の因縁」「悲劇の連鎖」みたいな、物語に時間的厚みをあたえるネタを豊富に提供する役目でもある。
さて、そんな感じで映像やアイテムはいいんだけど、語り口はじつをいうとあんまりうまくいってると思えない。終盤、事件の真相をバッキーがつかむあたりからばたばた一気に説明されてしまいバランスが悪いのだ。この映画、最初のカットでは3時間あったそうで、それだと終盤がもう少していねいだったかもしれないけれど、そこから1時間ばっさり切ったんだから無理もないともいえる。原作者エルロイも3時間版にはごきげんだったのに、ファイナルカットにはネガティヴなことしか言えないからとノーコメントを通していたそうだ。
一番のなぞというか説明不足は、事件のキーマンのジョージィという男だ。彼は事件に直接つながる因縁があるし、手も貸している。でもその正体がはっきりする前にもう一つの大きな殺人事件にも手を貸して巻き添えで死んでしまうのだ。彼にはセリフがひとつもなくて、本人が表現できるようなキャラクターがない。これは意図的なんだろうけど、だいじな因縁も最後の方で急に他人に説明されるからとってつけた感じがするし、第二の殺人にいたっては動機も手順もわかりづらすぎる。もう一つのなぞとしては、バッキーの相棒の刑事リーの秘密も警察の腐敗とつながる物語の大事な影部分なんだけど、これも最後の方でバッキーの回想とケイのセリフであたふたと説明されるのでなんだか流し気味になってしまう。
そんなこんなで、全体にそれなりの満足感があるんだけど、肝心の「闇」的部分をじっくり味わうひまがないというなんだかもったいない感じの一本だった。