M*A*S*H


<予告編>

ある種のクラシックなんだろう。70年公開、低予算ながらカンヌのパルムドールを取り、アメリカ軍を笑いのネタにするという当時はなかなかできなかった表現を思い切りやってみせて大ヒットし、米軍基地では上映禁止にしたけれど兵士がみんな町に出て見に行ってしまうので仕方なく上映を許可した、なんていう伝説もある。その後TVドラマのシリーズにもなった。ぼくも見るのは初めてだけどタイトルやポスターのロゴは昔からよく覚えている。
この映画、やっぱり「キャッチ22」という小説を思い出さずにはいられない。読んだのはずいぶん前だけどちゃんと覚えている。第二次大戦中の空軍基地の兵士たちを描いた小説だ(知ってる人、多いですよね?)。タイトルの「キャッチ22」は物語の中の軍規(軍のルール)で、英語圏では矛盾した出口のない状況をさす一般名詞としても使われるくらい有名だ。物語前半の混沌としてスラップスティックじみた世界、なんども繰り返されるセリフやモチーフ、その狂った世界に対抗するように奇妙なふるまいを続ける兵士たち。そして後半になって霧がはれるみたいに分かってくる混沌の意味。『M*A*S*H』の原作が影響を受けていると思うのが自然だろう。
映画の主人公たちは軍医だ。第二次大戦じゃなく朝鮮戦争が舞台。でも風景も兵士のノリもベトナムにしか見えない。ヘリやジープは古いタイプだから一応時代考証は守っているのだろうけど、ロケ地がカリフォルニア(の20世紀フォックスの所有地)だから、東アジアにはぜんぜん見えない。これはもちろん狙いで、くせ者監督アルトマンは意図的に同時代の戦争、つまりベトナム戦争を重ねて見せるためにそうしたのだ。これには理由があって、映画がつくられた1970年当時、製作会社20世紀フォックスでは露骨なベトナム反戦映画などゆるされなかった。だから朝鮮戦争の皮をかぶせた。そして同じ年に作られた『トラトラトラ』『パットン大戦車軍団』という二大戦争大作のすきまで低予算でさくっと撮り、会社に必要以上に注目させずに公開まで持っていってしまおうという戦略だったのだ。

今見ると時代の匂いがぷんぷんする。わざとレンズに曇るフィルターをつけて不鮮明な画面で撮り、美術は徹底的に汚しをかけて古ぼけさせる。軍医たちは思い思いに制服をカスタマイズして何ともヒッピー後っぽい「着崩し」を見せる。それから当時は新鮮だったらしいズームをやたらと使う画面。今見るとB級サスペンスドラマみたいだ(『愛のむきだし』にも)が、俳優に意識させずにアップを抜いて、ドキュメンタリー的画面づくりを狙ったそう。音声もそうで、セリフがかぶっても気にせず周囲の人間の会話がBGMになるようなつくりだ。ちなみにギャグは相当にベタな下ネタだ。
で、この映画、監督はちょっとしゃくだろうけど、主演のドナルド・サザーランドの魅力がかなり効いていると思う。バカなギャグのあいだを遊泳するクールでシニカルな長身メガネ男子。ハットも格好いい。このタイプは、たとえば『フルメタル・ジャケット』の主人公ジョーカーに引き継がれているし、それ以外にも一つのキャラクターの典型として時々出てくる。アメリカ人にとって何ともいえない格好よさがあるんだろうと思う。エリオット・グールドもいい。ウエストコースト的というのかむさいヒゲをはやし、『ロング・グッドバイ』とは違った味を見せる。この二人が撮影の当初は監督の常識はずれの撮影方法(かなり現場での思いつきが多く、脚本無視でひたすらアドリブをさせるなど)にうんざりして、プロデューサーに監督をクビにしろと言っていたそうだから、アルトマンとしても複雑だろう。
舞台の韓国基地にはありえないほどの女性スタッフが常駐して、当然軍隊とは思えないやりたい放題の現場となる。ドラッグが出てこないのが(多分理由があるだろう)不思議なくらい。その中で手術シーンだけは専門アドバイザーを起用して異様にリアルに撮る。この時代としては飛び抜けてリアルだと思う。しかし後半は主人公二人がコスプレして日本に行きゴルフとゲイシャ遊びをしたり、コントまがいのアメリカン・フットボールゲームをしたりして、原作付きとは思えないぐだぐだ感を見せつける。やはり俳優の力はおおきい。そういえばファーストシーンが医療用ヘリの集団飛行シーンで、この感じをふまえて『ショート・カッツ』あたまのLA上空のヘリの夜間飛行シーンなのか、なんて思った。