マンダレイ

<予告編>
ま、あれですね。完全に『ドッグヴィル』がVol1とするとVol2という作品で、前作前提だ。評価がわかれるかもしれないけれど、ぼくは『ドッグヴィル』の徹底した作劇はすごく好きだし、歴史に残ると思っている。観客のイマジネーションのよすがを、さりげない造形じゃなく、ほとんど悪意すら感じる言語的記号で見せるやりかた、しかもそれを演技・映像として成立させているところ。最悪の結末ながら妙な爽快感すらあじあわせ、その爽快感が観客自身を倫理的な安全圏からひきずりおろすものであるところ。
それにくらべると本作は観客に考えさせる要素はあるけれど、挑戦するほどじゃない。前作とおなじ舞台劇風のセットも、もうすこし規模が大きくなり、具体的イメージのある大道具がところどころに配置され、あとライティングがたくみで、セットであることは承知でもなんとなく空間を感じさせるものなので、つまり前作ほどミニマルな印象じゃない。

お話としては、「善意の民主化ってほんとうに…..?」という問いで、アメリカにおける黒人問題をそのままとりあげる。もちろん問題としては普遍化しようとしてるんだけど、ラストのスタッフロールのところではデヴィッド・ボウイの<ヤングアメリカン>のビートにシンクロさせつつ黒人問題の報道写真をスライドショーで見せてるから、あまり普遍化されてる気がしない。