エグザイル 絆


<公式(英語)>
ジョニー・トー作品では『冷たい雨に裏切りの銃弾を』を先に見た。映画の見た目はほぼおなじ。「漢映画」ファン随喜の涙を絞り出すマスターピースとされている香港ノワールの一本だ。すごくざっとストーリーを書くと、舞台は中国返還直前のマカオ、幼馴染みの5人の殺し屋の物語。5人はいつしか敵味方の3手に別れてしまっていた。1人は追われる身。のこりの2手はそれを殺そうとする側と守ろうとする側だ。追われる男には妻と生まれたばかりの子がいる。プロ同士の一瞬の戦いがあったあと、男は逃げ続けることをあきらめ、せめて妻子が生きて行けるだけの金を残す仕事をする時間をくれ、という。幼馴染みたちはそれを受け入れ、5人はブローカーがオファーした暗殺の仕事に乗る。しかしそれは結果的に、マカオ進出をはかる香港マフィアのボスを裏切る結果になり、彼らとの戦いに突入してしまう。戦いの中で追われていた男は命を落とす。それを知った妻は復讐を誓い、4人の男たちは逃避行の旅に出る…
つらつら思うに「漢映画」(おとこえいが、ですもちろん)というのも便宜的に分けると二つある。つまり「汗・涙系」と「クール系」だ。ウェットとドライといってもいいかもしれない。じっさいは二つを適度なバランスでミックスするのが多いだろうけどね。前者のキーワードは「エモーション」だ。男は感情を表に出すことをためらわないし、彼がつきうごかされる動機もだれにでも共有できる強い感情的エピソードだったりする。彼の感情はゆれうごき、時には泣き、それでも最後に強さを発揮してわかりやすく共感させる。映画じゃないが少年・青年マンガで描かれる「男」は基本的にこっちのタイプだろう。若い読者でも分かりやすいし、まあいっちゃなんだがわりとオーソドックスな類型で描くことができるしね。
後者のキーワードは「スタイル」だ。信念といっても生き方といってもいい。彼をつきうごかすのは自分の中にあるルールだ。時には物語が(彼が)うごきだすのに、とくに動機になるエピソードがないことさえある。彼の感情はゆらがず、それでいて何かに殉じるように損と分かっている方につきすすんだりする。この場合は彼を律するルールに説得力がないと観客は共感できない。でもその信条自体はありきたりなものでもいいのかもしれない。それを一貫して守り続けること自体がやがてスタイルになってくることもあるからだ。ここで言ってる「スタイル」というのは、もちろん体のプロポーションや服の着こなしや何かのお作法のことじゃないですよ。もっと言葉にしにくい、でもオーラのようにその人の周りに見えるようなものだ。イーストウッドの『許されざる者』あたりはその代表ともいえる。

この映画はもう典型的なまでに後者だ。い ち お う 物語の理屈としてわかりやすい感情的な動機が用意されてはいる。友情とか家族の愛とか、弱いものを守らなければ、とかね。でも本来的には男たちを律しているのは彼らのなかにしみついた生き方だ。それさえびしっとあって、というかじつは明確になくてもいいくらいなのだ。観客が「あるな」と納得できればそれでいい。主人公たちもよく見るとこれ以上ないくらい場当たり的に動いているし、まぁ全体にそれほど重量感のあるお話でもないんだけど、それでも彼らはふらふらと腰がさだまらないようには見えない。ぶれることなく最後までおなじ表情で駆け抜けるように見える。
監督はこの話をまともに脚本も決めずに俳優を集めて毎日即興で撮ったという。主人公たちがコイントスで行動を決めるのも当たり前で撮影自体が場当たり的だったのだ。しかし見せ場である5回の銃撃戦シーンはそれぞれ舞台になっている場所の特性を生かしきって十分に完成度が高く、しかも意外に脚本がしっかりあったはずの『冷たい雨に…』よりストーリーは明快だったりするので場当たり感は気にならない。それに語り口に古今の「漢映画」を参照し、そこもスタイリッシュに見せてくる。
一つ前に紹介した『ウエスタン』で書いた描写のうち「戦いの直前のゆったり感」「理解しあっている敵同士、説明的なセリフ一切無用」モデルはここでも明快に取り入れられている。「ゆったり」の最高の場面はファーストシーン。ターゲットが家に帰ってくるのを待つ敵味方の4人は、その時が来るまでは無駄にテンションをあげず、威嚇しあうこともせずにゆったりと待つ。アンソニー・ウォンのロングコートもどことなくウエスタンのダスターコートみたいだ。「理解しあってる同士」はやはり最初の銃撃戦のシーンが象徴的。リボルバーの6発装弾の一人に数を合わせて、他の男たちはわざわざオートマチックの弾倉から弾丸を落とすのだ。
この種の映画には欠かせない要素としてすでにおっさんとなった男たちがやけに仲良くたわむれて、しかもゆるぎなく団結する。ただここも『ウエスタン』ぽいな、と思うのは物語のキーストーンとしてタフな女性が置かれるところだ。『ウエスタン』では新婚そうそう相手をギャングに殺された気丈なセクシー未亡人をクラウディア・カルディナーレが演じ、男たちはなんのかんのいって彼女を中心にあれこれと動いていた。この映画ではもちろん死んだ男の妻がそうだ。彼女はただしくしく泣いている弱い存在ではなく、豪快すぎる手順で夫を弔い、決然と復讐に向かう。そしてこちらも最後まで男たちの行動をしばる存在になるのだ。