ワイルドスタイル/ストレイトアウタコンプトン


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みなさまご無沙汰です(>時系列で読んでくださってる皆さま)。今年はまずここから。
年明け、故大瀧詠一のラジオ音源を聴いていた。晩年にはほとんどミュージシャンをやめてしまっていたかれだけど、音楽史家としてときどきNHKでポップスヒストリーの番組をやってたのだ。明治の初期、ヨーロッパ音楽を取り入れようとして、まずは直輸入で音楽家や指導者を呼び、直訳で日本製を作ってみて、それからなんとなく土着化して和のテイストに揺り戻してスタイルになる、これが何度も繰り返される。演歌だってスパニッシュギターやマンドリン、ジャズやラテンやブルースなんかのテイストが消化されて混ざったあげくにあの感じになってるわけで、けっして外に閉じた「日本のこころ」じゃないのだ。
日本のヒップホップは、まだ直訳の空気というかオリジンへの思いが生きてるジャンルだという気がする。詞に乗せる言葉はちがってもね。川崎出身のグループに取材したこの短いドキュメンタリーはすごくいい。自分たちの街を、そのろくでもない面をかれらが淡々と紹介していく。でもちょっとした角の公園とか、運河に張り出した桟橋とか、毎日つるんでいた場所を紹介する口調には愛着も感じられるのだ。ぼくはヒッピホップにそんなくわしいわけじゃないが、あの土地との強いつながりはなんなんだろう。「動けない」ことの歌なのか。映画でいえば『サウダーヂ』の甲府にしろ『サイタマノラッパー』のフクヤ=深谷にしろね。で。オリジンであるNYとLAのヒップホップの世界を描いた2つの映画、今回見た2作は、やっぱりあまりにも土地の映画なのだ。

『ワイルド・スタイル』の舞台はサウス・ブロンクスまずこの風景ですよね。70〜80年代のサウス・ブロンクスは内戦後の街みたいだ。暴力のせいというよりは、オーナーに見捨てられたり保険金目当てで放火されたりの結果らしいけど、文明国の、それもNYの風景にしては落差あり過ぎだろう。たとえば本作の3年前に撮られたウディ・アレンの『マンハッタン』と比べるとそれはもう。
やけに空が広いこの街の上方を、グラフィティーがびっしりと描き込まれ全身タトゥーが入ったみたいな地下鉄がのたのたと通過する。知らなかったから少し意外だったのは、この世界はアフリカン・アメリカンだけのものじゃなく、プエルトリカンとの共存だ。
話はシンプル、というよりスケッチみたいな作品だ。主人公はグラフィティーアーティストのゾロことレイモンド。何のためでもなく毎晩描き続けるかれと、ギャラをもらって地元の店に作品を残すグループとがいる。クラブに遊びにいけばラッパーたちが入れ替わりオレ語りを聞かせる。かれらだってギャラは貰ってるかもしれないが一晩何グループも出てるんだし客は金もない地元のやつらだからたかがしれてるだろう。でもファンには名前を覚えられて、ついてくる女の子もいる、たぶんそれでOKだ。
そんなかれらがサウス・ブロンクスの外に出るチャンスをつかむ。ダウンタウンのイベントオーガナイザーみたいな男が話を持ってきたのだ。同時に地元テレビのリポーターがグラフィティーに興味をもって取材に来る。彼女はレイモンドをつれて白人たちのアートシーンに紹介する。そのシーンだけぼくたちのイメージどおりのNYの夜景がうつる。おなじみのあれだ。そこにはゲットー出身の青年をつまみぐいしようとするお金持ちの女性も出てくる。依頼でちいさなタブローに絵を描くレイモンドは、イベント会場の巨大グラフィティーも制作することになる。
なにかに向けて、というよりは自分たちが楽しいからやっていた表現活動が、はっきりとした「誰か」、仲間内じゃない観客に向けたパフォーマンスになっていこうとする瞬間を映画はみせるのだ。それなりの悩みもある。でも映画は楽天的な空気に満ちている。戦場のような街も必要以上に殺伐と描かない。キャストはみんな実際のグラフィティーアーティストやラッパーやダンサーが自分たちの役をやっていて、セリフもアドリブが多い。だから決められて(いわされて)そうなセリフだとやけに素朴に見える。いっぽう、街で近づいてくる銃をもった悪ガキ役のおとこたちは、撮影用のモデルガンをわたされても「自前があるから」と使いなれた銃を主人公たちに突きつける。
クライマックスのイベントシーンも、これはもう撮影用のシーンかどうかはほとんど関係ない気すらした。実際に野外ステージでラッパーたちが客をあおり、ダンサーがステージ上で技をくりだし、客は実際に大盛り上がりしてるのだ。かれらの日々の生活のキツい部分はあえて取り上げなかったのかもしれない。街の風景をみればなんとなく想像はつくだろう。それはそれとして、楽しげで希望に満ちた一本だった。ちなみに今のサウス・ブロンクスは戦場みたいな風景ではぜんぜんない。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』、じつは飛行機でみた。だから画面もサウンドも最低の条件だ(ついでにシートも)。おまけに字幕なしだから聞き取れてないとこもかなりある。ま、そんな感じであらすじだけ理解したってことかもしれない。
そのあらすじは明快だ。実話ベースでありつつ『ワイルド・スタイル』よりずっときちんとした、というか絵に描いたような青春ドラマの定型だ。何者でもなかった若者たちが出会いをきっかけに一気にスターに駆け上がる。もちろん周りには味方もいれば、うまいことかれらを使おうとする業界のあっちこっちの人間もうごめく。くされ縁の地元のアニキ分も金になるとわかるとがっちりくらいついてはなさない。そんななかで最初の一体感とか同じ夢とかはどこか見えなくなっていく。
舞台はLAのコンプトン。こういうところらしいけれど、さすがによく知らん。主人公たちはギャングたちが抗争するこの街の、いわば当事者じゃない。いや1人はそうだ。ほかの2人はそこそこマジメな高校生、殺伐とした街の目撃者だ。だけど目撃者だけでいられないときもある。警察からみれば「若い黒人」は取り締まりの対象でしかない。かれらは背中を押さえつけられ地べたに這うのだ。
LA周辺には「いっちゃダメ」とされるエリアがいくつかある。貧困層がおおくて犯罪率が高く、男の平均寿命が極端に低いようなところだ。もちろん人種構成の比率は周囲とはあきらかに違う。それぞれ5〜10km四方くらい、世田谷区くらいのスケールだ。『エンド オブ ウォッチ』の舞台になっていたサウスセントラルが有名だ。本作の最後のほうでも出ていた、いわゆるロサンゼルス暴動の中心もここ。本作の舞台、コンプトンもそんな危険なエリアの一つだ。ケンドリック・ラマーもコンプトン出身なんだね。しかしよく知らない僕がこうやって見るくらいじゃ、平和な日当りのいい住宅街にしかみえない。路地の1本1本を追ってくと、あきらかに風景にもちがいがでてくるんだろうか。