真珠のボタン


<公式>
ストーリー:チリ南部、パタゴニア地方の海岸地方をめぐるドキュメンタリー。スペイン人侵略の前には長時間舟の上で過ごす先住民たちがいた。彼らのひとりが1800年代、まだ若いときにイギリスに連れていかれ「文明化」された通称ジェレミー・ボタン。いまでは本来のかれらの言葉を話せる人はごくわずかしかいない。先住民の上にはそのあとも長い暴力の歴史がふりかかった。南米大陸最南端に近いこの海は100年後の暴力の歴史も飲み込んでいた。1970〜80年代、軍人出身の独裁者、ピノチェト大統領に反対する人々の多くが海に近い収容所に入れられ、殺されたのだ。海は約40年前の暴力の証拠をずっと底に抱いていた。

パタゴニア。一度は行ってみたい、どっぷり歩きたい、それに海が荒れていなかったらカヤックで右往左往してみたい....と思うけれど、たぶんカヤックは無理だろうなぁ。この地方は1年中吹きつける強烈な西風で知られている。僕は海の上でちょっと波や風があがると、とたんにおくびょうになってしまうのだ。むしろそんなのが好きなアウトドアマンたちがパタゴニア地方を旅したフィルム『180°SOUTH』がある。この映画の舞台はパタゴニアでも西より、チリ領エリア。
西〜南は多島海地域で、10000年以上ここに住みつづけた先住民がヤーガン(yaghan)と呼ばれる人たちだ。カヌーで島々を移動しアシカ漁や採取漁で暮らしたそうだ。年単位の航海をつづけ、ほとんど舟の上ですごした話も出てくる。19世紀になるとヨーロッパ人たちが本格的に進入してくる。かれらは入植者たちに服を着せられ、服についていた疫病に免疫がなかったために激減した。それ以外にもほとんど狩猟みたいに殺された人たちもいたという。かれらのわずかに残った末裔が自分たちの言語ヤーガン語で語るシーンもある。ジェレミー・ボタンは、真珠のボタンと交換で先住民の家族からひきわたされたそうだ。
話はピノチェト時代の収容所にうつる。海辺にあった収容所で殺されたおおくの人たちが海中に捨てられたのだ。それも浮き上がってこないようにレールにしばりつけられて。ひとつのボタンがその罪業をしめすのだ。ピノチェト政権が終了したのは1990年。その後も10年近く権力をもっていたから、チリの人たちにとってはほんとうに最近のできごとだ。だから収容所の記憶を語るひとたちも意外なくらい若い。監督自身、クーデター直後に監禁され、のちに亡命し、過去にもピノチェトの罪を告発するフィルムを作っている。軍政がおわった今でも監督の認識はきびしめだ。
さて、見た印象だけど、そういう告発系のドキュメンタリーにしてはかなりソフトだ。たとえば数十年前の残虐行為を告発する『アクト・オブ・キリング』みたいに関係者を追い込むこともしない。前半の先住民たちのパートでは、風景・今いる先住民の語り・当時の写真や銅版画などがくみあわされる。洗練された手つきで、映像もうつくしい。豊富なアーカイブをベースに物語を織り上げていく感じは、欧米の研究者が書くちょっと学術的な読み物と似た雰囲気だ。後半のパートになると証言者たちや、遺体投棄の再現、それに海中捜索のようすなど、映像も報道的になってはくる。それでも海中から引き上げられた遺物の並べ方や撮り方など、意味をしらなければ味わいのある朽ちたオブジェのようだ。
監督が思い浮かべる観客が、今でも国内では露骨にピノチェトを告発しづらい(らしい)チリの人々なのか、そもそもその時代をよく知らない外国の客なのか、いずれにしても監督はこわだかに自国の過去を告発することはひかえている。扇情的な映像もつかわない。はっきり覚えていないけどサウンドもどっちかというと流麗だったような気がする。美しい風景を「まずそこにあるもの」として全面にだして、人間たちの行為を「そんな世界のなかでおこったできごと」として空間と時間のなかに位置づけているみたいだ。

瞳の中の秘密


<予告編>
ストーリー:1974年。ベンジャミンは裁判所ではたらくノンキャリの捜査官。アメリカの大学院卒のエリート、イレーネが上司に着任する。そんな彼が若い主婦の暴行殺人事件を担当することになった。妻を殺された夫は仕事のあとに犯人らしき男があらわれるんじゃないかと毎日ターミナル駅に張り込む。ルールを逸脱しながら、部下の助けも借りて、ベンジャミンは犯人の行き先を絞り込む。でも時代は民主政権がクーデターで軍事独裁政権にかわるまさに前夜。法の正義も保証されているわけじゃない。逆に身の危険がせまり、ベンジャミンは地方に移動することになった。本当は愛していたイレーネと別れて。25年後、引退した彼はこの事件のことを小説にしようとしていた。過去を思い出すうちに決着したはずの事件に疑いが浮かび始める。

アルゼンチンの軍事独裁政権は1976年から1982年。マルビーナス戦争、フォークランド紛争とも呼んでいたイギリスとの約2ヶ月間の戦争の敗戦(降伏)が軍政がおわる直接の契機だ。映画の舞台の1974年は、1940年代から何度か政権についていたペロンが死に、妻イザベルが大統領に就任したころだ。wikiによれば大統領の顧問が極右のミリティアを組織して反政権の人々を暗殺していた。主人公たちが狙われる暗殺部隊がこれだろう。犯罪者でも有用だとなると強引に釈放されて暗殺者になる。
圧政の時代の記憶が、犯罪者をおう刑事たちの物語のトーンを決定している映画といえば『殺人の追憶』があった。それから遠い過去の犯罪の記憶が現在とつながる構成、ドイツ映画『23年の沈黙』があった。この映画ではそれなりにショッキングなオチが用意されていて、時代の重苦しさや、犯人のどうしたって犯罪をおかすしかないような気質の描き方、捜査官が逆に恐怖を感じるシーン、犯罪被害者の(一見おしゃれなイケメン銀行員の)強烈な執念の持続、など物語はしっかりしている。主人公の部下、アル中の書記官らしい男との相棒ぶりもいいアクセントだ。書記官役はコメディアンらしくて、変わり者だけど頭が切れ、酒で職場に穴をあけつつもモチベーションが高い、そんな役だ。あと、ちょっとした小物を何度も使って物語に縦軸をいれていく構成もどことなくしゃれている。タイプライターとか、イザベルが執務室の扉を「あけておいて」とうか「閉めて」というか、というところとか。アメリアカデミー外国語映画賞を受賞して、2015年には熟女ダブルヒロインニコール・キッドマン&ジュリア・ロバーツ)でリメイクされている。設定はもちろん、ストーリーもだいぶ変わっているみたいだ…っていうことは恋愛要素ははぶかれているんだろうか?

そう、この映画、もちろんミステリーであり、軍政時代の空気を30年後に描くという意味もありつつ、上司と部下の、表にだせない恋愛映画でもあるのだ。ヒロインのイザベラ役は撮影時に40歳、ベンジャミン役は48歳、たぶん1974年当時の設定ではだいぶ下だと思うけれど、見た目も十分に大人の恋愛映画だ(ちなみにそのせいで2人とも現在と25年前の差があまりない)。現在のイザベラ(設定上は50代だろう)がぱあっと文字通り顔をかがやかせるシーンがある。そこはもうテレもなく瞳に思い切り大面積でハイライトを映し込んで、彼女のうれしさをストレートに表現。ちゃんとかわいく見せている。
そんな感じでかっちりした映画ではあるんだけど、なんていうんだろう、英米の最近の映画に慣れてしまってるせいか、なんだか少し古典的な語り口に感じてしまったところはあった。どこがだろうな、映像のアイディアや編集テンポもあるんだろう。あとひとつだけケチをつけると、犯人をサッカースタジアムで見つけるシーンがあるんだけど、さすがに説得力がない。顔を知ってる捜査員が100人くらいで探してるならともかく。このシーン黒澤明の『野良犬』の後楽園スタジアムのシーンを思い出した。ひょっとすると遠い祖先なのかもしれない。