ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション

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これはぜんぜん予備知識なしで見た。短編のオムニバスDVD。ちょっと面白かったので動画付きでご紹介しましょう。
カナダ人のアニメーター、クリス・ランドレスと先輩アニメーターのライアン・ラーキンの作品が入っている。ライアンは1960年代後半に20代前半でデビューして、アカデミー候補にまでなった早熟な一種の天才だ。けれど60年代末という時代の波にのまれてジャンキーになり、30歳ころから全く作品をつくれなくなる。その後薬物中毒は克服したけれどアルコール依存症は直らず、施設ですごしながら路上で物乞いをしてくらしている。そんな彼をぐうぜん知ったクリスが、彼へのインタビューをもとにしたCGアニメーションを作る(その中にライアンの作品も入っている)。二人は友人。でもそのインタビューはライアンの人生を見れば予想がつくことだけど、なんともやるせないものになる。

DVDには3人の映像作家のフィルムが入っている。
■ライアン・ラーキンの短編
ライアンの初期作品は木炭のドローイングを少しずつ消しては描き直しながらコマ撮りしていくもの。高品質の用紙と木炭を使って、ほとんど1枚の紙に描いては消して作っていったそう。この『Syrinx』は流麗そのもので、神話の図像もきちんと押さえた、美術的教養がにじみだしたような作品。

この作風、2010年初頭に国立近代美術館で特別展をやっていたウィリアム・ケントリッジの一連の動画作品と同じスタイルだ。ドローイングをアニメーションにするのは普通にあるけれど、1枚の木炭ドローイングを描き直しながら撮るというのはね。時代でいえばライアンが先行していて、ケントリッジが参照したんじゃないかという風にも思う。
ケントリッジの作品の例。

ライアンの作品のなかでもっとも有名なのが『Walking』。とにかく絵具づかいがきれい。いくつかのパートにわかれているが、終盤の、絵具でフリーに描いているパートがすごくいい。輪郭でもあり陰影でもあるような描写がシンプルだけど効果的。

『Street Musique』最初のイメージはストリートミュージシャンの演奏風景で、抽象化していくうちにこうなったそう。その後は手持ちのイメージと技法をぜんぶ詰め込んだ感じで、自由なメタモルフォーゼの中で水彩がペン画に変わり、いつの間にか点描になっていたりする。だから一貫性はない。最初はなんとなく不穏な、ぞわぞわした部分を引っかかれるような気もしたが、何度か見るとすごく健康なイメージに見えてきた。有機物的な形の変化も、なんというか上品で、こういう有機的イメージだと性的なニュアンスが出てくることが多いけれど、そのにおいを感じない。
<直接見られません
この尽きることないイメージのたれ流し(ほめ言葉!)にドラッグの影響がどうあるのかは正直わからないけれど、ライアンは、コカインを使いだすとアイディアが噴出して手がまったく追いつかなくなって、逆に制作がいやになってしまったみたいなことを言っていた。

■クリス・ランドレスの短編

これが二人の作家のイントロダクション。正直この作風はにがてだ。おなじニューロティックな雰囲気の表現でも、ライアンのは詩情あふれるヤバさだが、こっちはストレートすぎる。やってることはわかる。精神的状態を可視化しているわけで、リアルな3DCGの人物像を、強烈にデフォルメしたり、漫符みたいな造形言語を暴力的に挿入してなんともいえないテンションになっている。容赦なさがたぶん彼の持ち味で、友人であるライアンの描きかたなんて、露骨に空虚な抜け殻のすがたなのだ。ちょっと悪意こもり過ぎで、この悪意の出所はわからない。過去の栄光を踏まえると今のライアンは抜け殻に見えてしまって、相手がどう傷つこうとそう表現しないわけにはいかないということだろうか。そこはいいんだけど、画風が感覚的にとにかく苦手! それでもこの作品は、ライアンが取れなかったアカデミーの短編アニメーション賞を勝ち取った。

■ローレンス・グリーンの中編
これは2人を説明するためのドキュメンタリーフィルム。クリスのインタビューと、制作風景、それに彼が作品をライアンに見せたときの反応を撮っている。まあこの部分は欲しくはなるかも。たしかに気にはなるしね。
でもアレだ。DVDで見ると、特典映像でライアンの作品を本人のコメンタリーを聞きながら見ているのがいちばんしあわせな気分になれる。テンションがあがるとどもりになるライアンも、ここでは落ち着いた声でたのしそうに解説している。その彼は再起作が完成する前に、2007年に肺がんでなくなった。