ベンダ・ビリリ


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近所の小さな映画館で演っていたのを見にいった。コンゴのストリートバンド、スタッフ・ベンダ・ビリリの5年くらいの日々を、彼らに惚れ込み、CDを制作しようとしたフランス人が撮り続けた映画だ。 スタッフ・ベンダ・ビリリのメンバーはおおくが定職も自宅も持たないストリートの住人で、公共のシェルターに住んでいる。練習は路上の広場か、キンシャサ動物園の脇の木陰。メンバーのうち5人はポリオにかかって足が不自由になってしまっていて、自転車を改造して手でペダルを回せるようにした車椅子や3輪のバイクで移動する。まわりにはストリートチルドレンたちがたむろして、彼らが救いのないストリートのちょっとしたヒーローになっていることを想像させる。
この映画、作り込まれた「作品」じゃない。世界としては『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や『ヴィットリオ広場のオーケストラ』的だけど、こちらはシンプルなドキュメンタリー+演奏シーンという構成で、あくまでバンドの音楽と、メンバーたちの魅力が映画の魅力だ。けれどCD製作がスムーズに進まなくて、結果的に足掛け5年の経過が1編に凝縮されたことで、彼らの身の上は物語になった。ただの紹介だけでない、音楽をやりつづけることの物語になったのだ。
主人公はリーダーのリッキー。彼はいつもハンチングをかぶっているスタイリッシュなおっさんで、その人間の器的なものがスクリーン越しにも伝わってくる。ハンディをしょってシェルターにいるけれど、妻は2人いるし、子供も5人いる。リッキーはあらゆる場面で自分を失わず、ヨーロッパデビューという目標を見据えてぶれない。ストリートワイズ的な知性も十分にそなえている。もうひとり主人公として扱われるのがロジェ。彼は空き缶と釣り糸みたいなのを使ったオリジナルの1弦楽器を演奏して小銭をもらうストリートチルドレンだった。リッキーに見込まれてバンドに加わった彼は、5年の間にちいさな子供からヒッピホップ風のウェアが似合う青年になる。それでも手作りの楽器をはなさず、メジャーなライブでもずっと弾き続ける。
彼らの音楽は好みしだいだけど、この手の音楽に興味がないひとがアフリカ、路上、ハンディ、みたいなところで素朴な音楽を想像していると、とんでもないことになる。無茶苦茶上手いのだ。アンサンブルだって音色だってコーラスワークだって洗練されている。リズム隊の格好よさは当然。楽器はぼろぼろだし動物園の裏で演奏してるバンドがだよ。ドラムだって、どう見ても廃品利用だけどいい音だ。じっさいはメンバーの多くはもともとプロのミュージシャンで、音楽的素養は十分以上にある。
年長のメンバーたちは1974年、キンシャサでおこなわれた「ザイール’74」を聞いて音楽をこころざした。プロボクシングのビッグイベント、モハメド・アリvsジョージ・フォアマンの試合とセットで開催されたブラックミュージックの伝説的コンサートだ。知ってる人には今さらだけど、彼らがやっているようなコンゴリーズ・ルンバ(日本ではリンガラ・ポップと呼んでいた)というポップソングは、カリビアンやレゲエ、アメリカのブラックミュージックなどから影響を受けている。アフリカ起源のグローバルなポップミュージックがアフリカにフィードバックする。彼らの曲もジェームス・ブラウンの有名なリフレインが入っていたり、キューバ風だったりというミクスチャーだ。グローバルといえばとんでもない田舎の村に住んでいたロジェもNBAユニフォームレプリカを着てNIKEのヘッドバンドをつける。リッチな国のポップカルチャーは強い。どこへでも入っていく。ぼくがチベットの田舎の村でみかけたこどもは、日本の雑誌からそのままとったらしい日本語を印刷した服を着ていた。
そんなリッチなヨーロッパにCDを売り、ついにライブツアーで上陸したバンドは、自分たちの国を搾取してきたヨーロッパからそれなりの金を奪回することに成功する。賢明なメンバーたちは本国にもどれば一生くらせるくらいの金をむだに使わないで、商売に投資して一族郎党をやしなったり、おなじ境遇の若手を育成するための基金を作ったりしているそうだ。ちょうど今が成功しはじめた時期だから、映画はすごくいい雰囲気で終わる。でもこの後、それほど売れなくなっても彼らはどんより暗く迷走したりしないはずだ・・・なんて勝手に思いこみたくなるような陽のオーラが彼らにはただよっている。