サンキューフォー・スモーキング


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ストーリー:タバコ業界のスポークスマン、ニック(アーロン・エッカート)はディベートのエキスパート。かれが呼ばれるシーンはほとんどアウェイだけど、論点をずらし、わざと相手を怒らせ、ときには文字通り相手を煙に巻いて、どんな不利な場面でも「タバコは害だ」という決定的なところに落とし込ませない。ボスはそんな彼を高くかっていてる。でも家庭は崩壊して、離婚した妻との息子とは決まった曜日にしかあえなくなっている。銃器業界やアルコール業界のスポークスパーソンとの飲み会がかれの息抜きだ。あるとき巨乳の美人記者がかれにアプローチしてきた。妙に意気投合した2人はアパートの部屋になだれ込む。ところがそれはただのおいしい出会いじゃなかったのだ……..
ジェイソン・ライトマンの2005年の作品。『マイレージ・マイライフ』より前だ。そして『マイレージ』とそっくりの映画だ。よっぽどこのテーマがささったんだろう。あるいは少し軽めのこの映画ではどこか言い切れていないと思って『マイレージ』を撮ったのかもしれない。
この映画は軽い。『マイレージ』の主人公、ライアンと同じように悩んでも、自分の存在が揺らぐようなことにはならないし、エピソードもリアリスティックにしすぎずに笑って流せる程度にしている。煙草の「クールなイメージ」の盛上げのためにハリウッドをエンドースしようとしたり、敵対的な議員とバトルしたり、訴訟問題を片付けたり、スクープ記事にやられかけたり、いろいろあるんだけど重くしない。いいテンポのコメディで最後まで行く。
なにより彼には息子という救いがいる。離婚した妻と交替であずかっているこの息子がどういうわけか全面的にかれを肯定して、慕ってくれるのだ。しごとにまでついてくる。親をならってへりくつ系ディベートのスキルまで磨きあげる。倫理的に微妙な立場の(だからこそ面白い)ニックを、一番大事な人間が全肯定してくれれば話は楽だ。彼は自分の存在を疑う必要もない。そこが『マイレージ』や『ヤング≒アダルト』とちがって楽に見られるところでもあるし、すっと流れて行ってしまうところでもある。

それにしても、ライトマンのこの3作、主人公はいつも、はたから見ると「いいのかそれで!?」というポイントに満ちている。しゃきしゃきとやってるんだけど、なんだか足元にぽっかり空洞があるみたいな存在だ。主人公は物語上、ぽっかりあいた穴の暗闇をちら見することになる。でも、ある種の映画みたいに、その闇を通り抜けてわかりやすく主人公が成長したり、生まれ変わったりというところへはけっして行かないのがライトマン流だ。主人公は自分の、いいのかそれで的ライフスタイルに「いいんだよそれでも」という感じで不思議に確信をふかめて再出発するのだ。これがちょっと面白いところで、なんというか、わかりやすい正しさなんかより、それぞれがそれぞれに築いたスタイルのほうが面白いじゃん、という立ち位置なのかもしれない。そういうタイプのやさしさがライトマンにはある。