ウインド・リバー


<公式>
ストーリー:コリー(ジェレミー・レナー)はウインドリバー居留地の近くに住む自然保護官。妻はネイティブアメリカンで、義理の父母は居留地に住んでいる。娘を原因不明の事件で失い2人は別れた。仕事で冬山に入ったコリーは凍死した女性を見つける。娘の友人だった。事件の真相をつきとめようにも、広大な居留地には警官が6人しかいない。派遣されて来たのはFBIの若い捜査官ジェーン(エリザベス・オルセン)だった.....

本編が終わって、クレジットのロールが流れ出すと気になる文字が見えた。The Weinstein Company。配給で入っている。分かりますよね、2017年女優たちへの性暴力事件がついに明るみに出たプロデューサー、ハーベイ・ワインスタインの会社だ。事件の打撃でたしか破産したはずだけど、2017年公開の本作にはしっかり残ってしまった。

さて本題。ネイティブアメリカン居留地モノというと『フローズン・リバー』を思い出す。あれはNY 州だった。居留地というある種法の空白地帯を活かしたビジネスが物語になっていた。本作の舞台は中西部ワイオミング州。面積18000km2に約30000人弱がすむ。寒い不毛の土地で、同じように法の空白地帯だ。毎年女性の失踪事件が多数起こっているけれど、捜査もされないしその統計もまともにとられていないという。本作は居留地の事情を誠実に描く。まともに法の執行者がいないことも、若者が希望を持てずヤク中になっている姿も、地下資源を搾取する採掘企業(ウランが採掘されていて、そのせいか住民の発ガン率は高い)も、こういう環境で一番犠牲になりやすい若い女性の運命も。

話はとてもシンプルだ。コリーは心に傷を負った誠実な男。経験は浅いけれど正義感が強いジェーンを助けて、居留地警察と捜査に協力する。一点の曇りもない正義の側だ。そして正義のためには悪漢たちを射殺するのもまったくためらいがない。ようするに西部劇なのだ。コリーは旧式規格の弾丸を自作して高性能弾にし、ライフルにつめて持ち歩く。

アメリカ辺境の特殊な環境、そして犯罪。もう一つ『ウィンターズボーン』を思い出した。『フローズンリバー』のどちらも好きな作品だ。冬、なんだよね、舞台が。寒々しく救いがない。本作もそんな作品の一つとしてたぶん記憶するだろう。シンプルで抑制が効いていて、構成の切り替えもちょっとすごいし、クライマックスは燃える。 いい映画だなと思った。

ただ、難癖をつければ定型だなとも思った。ネイティブアメリカンたちの苦しみ。それを救いにきた2人の正義感あふれる白人。 物語の中のネイティブたちは無力だ。もちろんコリーはネイティブと家族になり、居留地にも親友がいる。自然を守る職務なのもあって信頼されている。ジェレミー・レナーは派手すぎず、厚みもあって、この役にぴったりだ。
いまのハリウッドはその辺ものすごくセンシティブになってきていて、マイノリティーにせよ女性にせよ型にはまった役から変えて大ヒットしている作品がいくつもある。本作は充分に配慮してるほうだ。じゃあたとえばホワイトウォッシュ(非白人の物語なのに主人公に白人を当ててしまう風習)を避けるためにネイティブの血が入った役者をあてるか....ジョニー・デップ? いやいやいや、それは合わない....ま、なんでも正しさで決めるのも息苦しいんだけどね。

ちなみに本作のもう一つの印象は「ピックアップトラック万歳映画」。荒地でしかも雪国だからSUVじゃないと使い物にならない。コリーはスノーモービルを詰めるフルサイズのピックアップに乗る。警察も。全長6m、幅2m、最高400馬力以上のこんな 車たちだ。荒涼とした冬山の道路にやけに格好良く見えた。

ビューティフル・デイ



<公式>
ストーリー:ジョー(ホアキン・フェニックス)はNYに住む湾岸戦争の帰還兵。行方不明の少女をレスキューする裏稼業で暮らしている。さらわれて性産業で働かされている現場からだ。銃は使わないが暴力にはためらいがない。今度のクライアントは議員。13歳の娘の救出だ。いつもの手際で助け出した娘をホテルに連れて行く。ところがそこに来たのは銃を持った男たちだった.....

少女を性産業から「救出」する傷ついた男。思い出しますよね『タクシードライバー』。孤独な殺し屋と少女....そう『レオン』。たぶん無数の名もなきエピゴーネンを合わせると一つの定型といっていいくらい似た物語があるんじゃないか。日本よりはるかにペドに厳しいアメリカでもこの型は生きてる。本作は一見この定型を取り、女性監督リン・ラムジーは少女をきちんと美しい女性として撮る。そこに今の感覚にチューンした『ゴーン・ガール』のテイストが加わっている。
主人公は幼少期のDVと湾岸戦争によるPTSDに苦しむ孤独な男。老いた母親と同居していて、観客のかれへの「あ、いいとこもあるんだ」という共感はほとんど母親とのふれあいシーンで醸成される。かれのなかにある優しさがそこでわかりやすく表現されるのだ。
母親はDVの被害者だった。父親は荒れると金槌を持ち出して暴れた。いま彼が武器に使うのも金槌なのだ。すごく表面的になぞると、かれはDVで虐げられる母親と、戦時に見せつけられた犠牲になる子供達の記憶から、「まだ子どもの女性」を搾取する男たちに容赦なく復讐するスタンスを身につけた。だけど暴力の体現者である父親からもまた罪を受け継いでしまった。

そんな物語なんだけど、クライムストーリーとして見るとなんだかピンとこない。話は「権力者が裏に隠し持つ闇」的なことで、敵役は主人公の少女救出に超暴力的に反撃してくる。だけどギャングの抗争じみたリスキーな作戦を実行する理由がよく分からないのだ。後半に入って描写のリアリティが後退し、どこか夢幻的な展開になってくる。強さだけでなんとか無慈悲な世界に対峙してきた主人公が無力さを突きつけられて、なにもかも失うような流れになっていくのだ。同時に画面はどんどん静かで美しくなっていく。クライムストーリー自体はそんなに重要じゃない。
十分に暴力的な話だけど、監督は暴力シーンも銃撃シーンも撮ったことがなく、それもあって戦いのシーンはほとんど直接見せない。防犯カメラで距離をとったり、暴力が済んだ後から見せたり。一番いいシーンはかれが倒した相手、瀕死のその男にふいにシンパシーを感じて寄り添う。I’ve never been to me がかかり、ふたりはメロディーをつぶやく。幸せってなんだろう、そんな歌詞だ。その男は物語的にいえばジョーがもっとも激しく痛めつけていいはずの相手なのだ。

結局主人公は少女を救い出したのかもよく分からなくなっていく。そこで主人公に投げかけられるのが邦題になっている“It’s a beautiful day”という言葉だ。そしてか弱かったはずの美少女がいつのまにか弱々しいかれを見下ろしているのだ。
ジョーを演じるホアキン・フェニックスがほぼ1人でこの映画を支えている。監督のオファーに応えて初出演だそうだけど、ある種二人三脚的に作り上げていったところもあるんじゃないかと思う。
アメリカの俳優はわりと役柄に合わせて体型を作ってくるけど(これ日本は少ないね。伊勢谷友介鈴木亮平くらい? 準備時間がないのかしら)、本作のホアキンこれとかこれとかとまったく体質が違う人のような体つきにしている。以前鍛えていたのがたるんだ、というコンセプトだそうで、まさにそんな感じの中年レスラーみたいな体の太さになっている。
音楽はジョニー・グリーンウッド。『ゼアウィルビーブラッド』から始まり 、いまじゃ一癖あるサウンドトラックといえば、の人だよね。