シェイム


<公式><予告編>
ストーリー:ブランドン(マイケル・ファスベンダー)はマンハッタンのこぎれいなアパートにすみ、そこそこの会社でそこそこ業績もあげているふうだ。かれの日常はほとんどセックス1色。コールガールと。上司が声をかけた美人に逆ナンされて屋外で。家のPCではエロチャット。家でも会社でもオナニーをくりかえす。そんな暮らしに妹シシー(キャリー・マリガン)が居候をはじめて、ブランドンのペースが狂い始める。上司にも妹にもどうも変だぞと嗅ぎ付けられて…….
好きなタイプの映画だ。ストーリーのぱっと見から想像するみたいなエロチックな映画じゃぜんぜんないけど。
グールドの弾くバッハにのせて、徹底的に温度がひくく、冷たく、沈鬱なトーンで、セックスを描くのだ。ストーリーもほとんどない。ある男の日常におきたちょっとしたさざなみみたいなことだ。「こういう人間がいるよ」という、ほとんどその紹介が1本の映画になっているといってもいいのだ。そのわりにはちょっとベタなクライマックスがくる。この映画、枕詞みたいに「性依存症の男をえがく」とつくからどんな変態が出てくるのかと思うけれど、じつはそんなでもない。もちろん30男が家でも会社でも毎日オナニーしていたらそれは相当だ。でも彼は、非合法なセックスはもちろん、基本無茶もしないし暴力的でもないし、逆に自己破壊的でもない、生活が破綻しない範囲でなんとかコントロールしてるのだ。
だいたいさ、ブロードバンド以降、一般民たるわしらだってセックスコンテンツに接する時間は正直ふえました。ニーズが高かった中高生のときよりたぶん。リアル方向に使うひとだけじゃなく、以前は疎外され気味だった人もそれなりの仕方でどっぷりはまれるようになったわけで、全体でいうと依存度はどう見てもあがっているってことじゃないの。つまり観客の大多数からみても、まったく遠い世界のキャラクターじゃないということだよね。『蛇にピアス』みたいに、自分とは距離があるエロスの形を野次馬的興味でみる映画とはすこし違う。

そして彼のセックスライフは、けっして観客がうらやましくならない描き方をされている。女性とからんでもぜんぜんエロチックじゃないし何度射精しても気持ち良さそうでもない。だから一番エロを感じるのは、地下鉄でたまたま目が合った、ちょっとつかれた感じの美女と視線をからませているうちに、彼女がすこしその気になりかかる、そんなシーンだ。
見えてくるのは、過剰なセックスよりもそれ以外の空虚さだ。けっしてお金がないわけじゃない風の生活だけど、趣味がありそうにもみえない。セックス以外、女性とトークを楽しむのも苦手、気が合いそうな女性とふつうのデートをしてみるとまったく盛り上がらないし、たいして高級そうなレストランでもないのに、料理もワインもよくわからずにぎごちなくなってしまう。セックスもそれ以外のすべても、じぶんに楽しむということを禁じているかのような自罰的な人生なのだ。
そんなところに恋愛依存というか人間関係依存みたいな妹シシーがやってくる。クールなバッハのピアノじゃなくてCHICの「I want your love」にのって。妹もあきらかにあやういバランスで、兄妹のあいだに近親相姦めいた関係があったんじゃないかと濃厚ににおわされる。もっと想像をひろげれば、暴力的だったり性的に逸脱した父親のもとで育った2人が、やっとのことでそこから脱出したものの、いまだに苦しんでいる、みたいにも見える。そのあたりは明らかにはしないで、細かいディティールで「ちょっと変だぞ?」と感じさせるようになっている。
兄は自分の中の衝動をぎりぎりでコントロールして、ほころびそうになりながらもアッパーミドルの生活をたもっている。片付いたきれいな部屋も、面白みはないけれど質の高そうな服もそんな雰囲気だ。そこに、まるで蜘蛛の糸を必死でつかんでいるブランドンの足につかまるみたいに妹がやってくるのだ。だから兄は妹を受入れたくない。たぶん恐れからね。それでも兄の妹への気持ちは、シシーがクラブで歌うのを聴きにいくシーンでわかりやすく見せている。このシーンはクラブでじっさいにキャリー・マリガンに歌わせて聴いているマイケルたちを同時に撮っているそうだ。だからあのあたりの空気はけっこうリアルなのだ。
ぼくが好きなのは、妹が上司を部屋につれこんで(というかブランドンの部屋だし!)、ふざけんなとがまんできなくなったブランドンが夜の街をひたすら走りにいくシーンだ。バッハのフーガ にのせて走る彼を真横からずっと追うのだ。曲のピッチと彼の走りがぴったりあって、たぶん少し早送りにしているんじゃないかと思うけど、いやに早い。ブロックごとにどんどん背景の街の景色がかわっていく。コンパクトで高密度なマンハッタンらしい風景だった。

ラスト、コーション


<予告編>
ストーリー:日本占領下の中国。傀儡政権で反体制派をとりしまる秘密警察の幹部、イー(トニー・レオン)。抗日活動の学生たちは日本側についている彼を襲撃しようとする。そのなかに入学そうそうスカウトされて、ハニートラップ要員にされるチアチー(タン・ウェイ)がいた。計画はなかなか実行にうつせず舞台は香港から3年後の上海にうつる。そこでも身分をいつわってチアチーはイーに接近し、愛人になる。ターゲット暗殺のためという目的は忘れていないものの、何度も体をかさねるうちにイーの思いにしだいに共鳴していく……
まずは表面的かつ下世話なはなしですみませんが、この映画を見ていると、セックスシーンの絵面でだいじなのはやはり尻だなと思う。女優だけじゃなく男優もそうだ。そもそも尻はいわば身体の顔といっていいくらいその人らしさが出るパーツだ。裸体があると自然に尻に視線がひきつけられる。一般映画だとAVみたいに局部メインで映すわけにもいかないから、重なっている2人を撮るでしょう。そうすると必然的に、男優は特に背中と尻でかたらなくちゃならなくなるのだ。セクシュアリティと関係なくね。『シェイム』のファスベンダーは白人らしい体の厚みで(たぶん映画用にシェイプもしただろう)きっちり絵にしてきた。
その点トニー・レオンタン・ウェイはちょっと弱い。東アジア人特有の体の細さでふたりとも尻が薄いのだ。冬の夜空に輝くシリウスである。監督アン・リーは『ブロークバック・マウンテン』の時とちがって2人の全身のシルエットがくまなく見える撮り方をする。だからよけいに分かる。いやそうですよもちろん。ポルノじゃないんだからオブジェとしてりっぱな体があればいいっていうものじゃない。トニーもマッチョさで強さやすごみを表現するタイプの俳優じゃないだろう。たっぷりした身体の2人がここで汗みずくのセックスをはじめたら、このラブシーンの切羽つまった雰囲気もへってしまうかもしれん。……だけどやっぱりちょっと細かった。うまく言えないけれど、なんだか映像にローカル感が出てきてしまうのだ。絵的に面白さをだすためか、監督みずからの指示でふたりはいやにトリッキーな体位を繰り返すようになる。ストーリー上の必然はどう考えてもないよね。あの体位には。

そこをのぞけばトニーはさすがに雰囲気があって、蛇的な怖さをうまく出している。後半になるとスパイと分かっていても女に弱さをちらりと見せるようになる。もとのやさ男ぶりがそんなところでは生きてくる。日本人向け(つまり占領軍用の)料亭でひとり手酌で飲んでいるシーンがあって、小津映画に出てくる佐田啓二的な、美男俳優がサラリーマンの哀感を表現しているみたいな味があった。そこでは彼は支配者じゃなく従属した存在になってしまうわけだからね。タン・ウェイはデビュー作ということを考えるとずいぶん堂々としてあぶなっかしさもない演技だった。ただ表情でなにかを伝えるにはまだ固かったかもしれない。映画の本筋の「標的である男と愛人のふりをしているうちに、妙に共鳴しあってしまう」というところがちょっと説明的な印象があるのだ。ううん、そういう演出だったからかなあ?
それと彼女を抗日運動にひきこむ先輩役のジョアン・チェン。話の自然な流れでいくと、チアチーはずっと彼に心がひかれているんだけど、女スパイという使命もあってその思いは決してとげられず、同士としての微妙な距離感のまま、別の男に抱かれていく……ということだろうと思いたくなる。でも彼の存在感のうすさもあって、「最初は少々気があったけど、そうこうするうちに彼女の中ではすっかりそれも消えて、単なる同士になった」という風にしか見えないのだ。ん?とちゅうでキスかなにかしてたっけ? でもなぁ。この物語のエロスを濃厚にするには、同士である2人はとうぜん愛し合っていた方がいいでしょう。そのあたりはどうだったんだろう?