パリ20区、僕たちのクラス

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ぼくたちは、教師が生徒に生身でぶつかっていって、生徒たちの個人的な悩みや葛藤に真摯に向き合ったり、やむにやまれぬトラブルに頭を抱えたり、おもわず人間的な弱さをあらわにしてしまったり・・・という、それもわりあいに良質なドラマを子供の頃からいくつも見てきた。ある教師はジャージが似合ったし、ある教師はもちろんセンター分けの長髪をかきあげたし、ある教師はポイズンに侵された。だから、とりあえず物語の構造としてはそれとまったくおなじこの映画がパルムドール(カンヌ最優秀賞)を獲得したというのを見ると、「たぶんぼくの気がつかない(現代ヨーロッパ的な)問題意識とか価値の提示があるんだろう」と考えずにはいられないのだ。
もちろん映画は面白い。いいリズムだし、13ー15歳くらいの生徒たちもいいキャラクターだ。なにより(おそらく)パリの江戸川区的なこの場所の生徒たちは今の文化衝突の縮図になっていて、白人、チュニジアアルジェリア、モロッコ、マリ、中国、アンティル諸島、たぶん東欧のどこか・・・といったオリジンを強くもった彼らは、その文化的な背景がそのままキャラクターの一部になっている。この映画がいいのは、もちろんその出自によるキャラクターが色濃く出ていても、ちゃんと個人のパーソナリティーがその上に見えていることだ。だからただの人種問題を考える「だけの」構造にはなっていない。
この映画はいろいろな意味でドキュメンタリックに撮られている。画面そのものが、そこだけ取れば最近よくあるタイプだが、手持ちカメラの取材風画面がほとんどで、かつ実際の教室で実際に授業風の対話をしている所を撮るからズームで彼らの表情を抜くことが多い。BGMはあまり目立たず、とくに教室のシーンでは生徒たちのざわめきがそのままミックスされて背景音になっている。これは単純に教室の音を拾っているわけじゃなく、意図して背景音として作り直しているんじゃないか、と思う。
画面だけじゃなくキャストもだ。そもそも主演の先生フランソワ役が、原作の作者であるフランソワ・ベゴドーなのだ。原作は自分の教師経験をつづった小説だから、本人が自分の経験を映像で再現しているようなことになっている。生徒役も20区のある中学で長い時間のワークショップを経て選ばれた生徒たち。物語は夏休みが終わって新学年がはじまる9月から学年が終わる6月までを描いていて、おそらく実際にその時間をかけて撮っている。というのもあきらかに最後のシーンで子供たちの何人かが少し育っているからだ。
それに、生徒たちの対話もアドリブだそうだ。ある程度の方向性を与えて、自在に先生と言い合いをさせている(それができる生徒を選んだ)んだろう。ただし物語も、生徒たちの設定もすべてフィクションだという。

さてこの映画で描かれる「教育」がいかにもフランスらしいなあと思うのは、それが国語だからだ。最初の授業シーンはほんとに楽しい。移民だしあまり教育水準も高くない生徒たちはあまりボキャブラリーが豊富じゃない。先生は生徒たちに知らない言葉を言わせ、それを解説していく。するとその解説の言葉を知らない生徒がでてきて、先生はそれの定義を説明しなければならない・・・こうして無限のループの中で生徒たちはフランス語の文化に足を踏み入れることを期待される。ただし問題がおこるのも言葉をめぐってだし(一番の問題児はフランス語でうまく文章を書けない)、先生がおおきくつまづくのも一つの言葉を思わず吐き出してしまうからだ。そんな風に物語はつねに言葉を軸に進む。
生徒たちと先生のコミュニケーションはつねに議論のかたちで表現される。生徒たちは先生の言うことをただ吸収するわけじゃなく、ひとつひとつに疑問をなげかけ、反論し、批判し、対案を出し、言い分を主張する。もちろん反抗的な子もいるし、関心を持たない生徒もいるけれど、きちんと対話する、ここだけ見るとすごく健全な現場に見える。
この映画のいい所は、ほぼその現場のシーンに集約されていると思う。映画はいちおうストーリーの骨格を持っていて、その中で一人の生徒が問題児としてクローズアップされて来て、やがて彼の問題がどうにもならなくなり、先生も生徒たちからの信頼を失うところまで追いつめられる。しかしそこはあまり重要じゃないような気がする。まちがいなくクラスだったらそれ以外にもいくらでも深刻な問題は起こるはずで、たとえば生徒間の露骨な対立や、人種やキャラクターに起因するいじめのようなものもないとはいえないだろう。しかし映画のなかではそれらは省略され、まったく存在しない。
だからこの映画は、ストーリーの部分ではあくまでフィクションだし、現にそう見える。ただ上に書いたみたいなドキュメタリックな仕掛けが、ストーリーと直接つながらなくても現存する問題をきちんと浮かびあがらせるし、対話劇としての魅力を引き出していることはまちがいない。