大人の見る繪本 生まれてはみたけれど


<動画>
ストーリー:昭和7年。麻布に住んでいたサラリーマンが郊外の蒲田に家を買った。会社の上司にあわせて近所に引っ越しだ。転校した兄弟はガキ大将たちにいじめられて学校をサボっていたが、すぐにいいポジションにおさまった。同級生の1人は上司の息子。映画上映会でその家に招かれた兄弟は、うちでは厳しい父親が上役にぺこぺこする姿を目の前にして.....

小津の無声映画時代の傑作といわれる一本だ。90分。お話のボリュームは小さくて、切り詰めれば短編にもおさまりそうなさらっとしたエピソードだ。語り口はコメディー、動きの軽い男子小学生たちがメインキャストだから、見た印象もすごく軽快だ。クラリネット系か何かの調子のいい劇伴がよく似合いそう。つまりこれ、後年の小津作品の独特なフォームが苦手な人でも、むしろ見やすそうな映画だ。
キャストがじつにいい。まず主人公の兄弟。あえて年の差をつけず、背もだいたい同じで、着ているものはいっしょだから双子みたいに見える。弟は兄の動作を同じ動きで模倣する。その独特の画面は、後期の作品の、たとえば『秋日和』で2人の女友達が屋上でダンスめいたシンクロした動きをするシーンにつながって見える。でも物語後半の微妙な心理状況では、2人のうごきに少しブレが生じて葛藤が表現されている。近所のガキたちも嫌みがなくていい。体の大きなボスから、「エサをやるな」的貼り紙をされているみそっかすの幼児まで年代にも幅があり、中にはちょっとしゃれた顔つきの子も混じっていて見飽きない。

それから父と母。このキャスティングが面白すぎる。母はいいのだ。いかにも昔のお母さんらしく、地味なメガネ姿だけど「こんな顔いた!」と膝を叩きたくなるような女優さんだ。問題は父だ。家に帰れば着物姿になる謹厳な昭和の父なのに、顔はエイドリアン・ブロディなのだ。いやほんとに。齊藤達雄は無声時代の小津作品の代表だけど、いかにも役者らしいコーカソイド系の派手な顔立ちで、市井のおっさん風味とずれている。一番笑えるのは、サラリーマンである彼が、8mmカメラをまわす上司にいわれて変顔をして見せるんだけど、これがダイナミック過ぎて、まじめな素人がおどけるレベルをあざやかに超越している。たとえて言うと、サラリーマンが宴会の余興で踊り出したら、いきなり熊川哲也ばりのキレのあるターンを見せる感じだ。おどけた自分がアップになったスクリーンの前でこまった顔をするお父さんだが、そもそも自分が攻めの演技をし過ぎていたという事実には粛然とせざるをえない。

お話は、幼い兄弟が、お父さんの「外の顔」をとおして子供ながらに社会の中の序列を目のあたりにするというもの。ショックで反発する兄弟は、ご飯を食べないという形で反抗して見せるけれど、家庭のやさしさの象徴であるおにぎりの前にはなすすべもなく、それをきっかけに和解して行く。
この映画、室内はセット撮影。後年ほどびしっときまった構図じゃなく、むしろ自然に見える。それでも座卓すれすれの高さのカメラでご飯を写したり、というらしさもある。屋外シーンはすべて冬の蒲田郊外でロケをしている。池上線沿線で、いつもバックに電車が通るタイミングで写している。空の広いのどかな集落は、黒澤貞次郎という実業家が大正期につくった黒澤村といわれるコミュニティとその近くだ(このサイトが詳しい)。社員の福利厚生用のいわば社宅ではあるけれど、自給自足の畑があったり、実生からそだてた木を植えたり、田園都市構想の影響が色濃い、庭園的な集落だったらしい。世田谷〜目黒〜太田区の丘陵エリアは戦前に郊外住宅地として開発された場所がけっこうあった。田園調布がその代表で、同じ田園都市開発会社による洗足、深沢から桜新町にかけてのゆるやかな斜面地、奥沢の海軍村、緑ヶ丘のドイツ村....ぼくはそんなかつての郊外住宅地の一角で育ったから、もちろん町並みは戦後で全然違うけれど、この映画の風景に不思議な親しみを覚えるのだ。小石川とか麻布とかじゃなくね。
この物語のお父さんは、不況で大変なんだと愚痴る。麻布に住んでいた一家は、いまのセレブな麻布じゃなく、かつて大量にあったけどほとんどなくなってしまった、木造密集住宅地の、たぶん借家に住んでいただろう。とはいえこの時代のホワイトカラーは就業人口の7%しかいない(参考)。そして戦前の都市の持家率は20%程度。きちんとコートを着て都心の会社に通い、家を建てられたお父さんは、ぺこぺこはしていてもそこそこの階層だ。ど庶民の哀感じゃないのだ。

家は、建物こそ全くの和風で庭も縁側だけど、線路に面した庭には白い矢型の板が並んだ洋風のフェンスにバーゴラまである。庭にある鉢はゴムの木とニオイシュロラン(Cordilyne Australis)だろう。飼い犬の名前はポチや太郎じゃなくエスだ。古本屋にたまに戦前のガーデンデザインの本があって、ペルゴラ(パーゴラ)や石張りのテラスや、幾何学フォルムの池や、そんなデザインがふつうに紹介されている。彼らの家も、もう少しリッチだったら玄関と応接間が洋風の、当時よくあった家になっていただろう。
昭和7年。大震災からやっと10年弱、本格的な戦時になるまであとたった数年の、ほんとに一瞬のおだやかな時代だったのかもしれない。

宗方姉妹


<断片映像>
ストーリー:1950年頃、結婚が上手く行っていない夫婦(山村聡田中絹代)の家には妻の妹(高峰秀子)も住んでいる。妹は「アプレゲール」といわれる戦後ッ娘。父(笠智衆)はガンで死期が近い。妹は姉の昔の恋人(上原謙)と姉がいっしょになればいいのにと思っている。
これはぴんとこなかったなー。なんでだろう。主演3人の演技はなかなかだろうとは思うのだ。妹のちょっとぶっとび・不思議ちゃんキャラも悪くない。文芸作品原作ものということで安易にまとめてしまうが、川島雄三で言うと『明日くる人』的な、監督の魅力が微妙にスポイルされてるような感じというか。それにしてもアプレゲール。よっぽど流行ったのか、監督たちにささることばなのかね。溝口の『祇園囃子』』『噂の女』黒澤の『野良犬』それにこの作品。みんな「君みたいなのはアプレゲールだよなあ」みたいに言われている。
『明日来る人』で老け役のパトロンを演じた山村聡が、年相応の苦い失業中年(しかも妻の心ははなれている)を演じる。こちらのほうがはるかにいい。それから映画の冒頭で医学部の教授が講義するシーンがある。京大だっけ。この教授が、『生まれてはみたけれど』のお父さん、斎藤達雄だ。