現金に体を張れ(The Killing)

<参考:imdb>imdbは英語サイトなのに日本から見ていると題名が邦題のローマ字読みになります。 親切というかときどきくすぐったいというか…

スタンリー・キューブリック1956年の作品。いままでに何度も言及していたわりに、じつは見ていなかった。いわゆる「時間軸操作+多視点もの」のわりと元祖に近い作品だ。もっと以前の1950年の名作、黒澤明羅生門』がひょっとして元祖になるのかな。このブログでいうと『その土曜日、7時58分』『運命じゃない人』あたりは効果として『羅生門』に近いものを狙っているだろう。ある事件を描くのに、複数の証言をあつめて謎解きをしていくみたいな描き方だけど、同時に「知っている情報の断片で観客が構成した<事実>は思っているほど確かなものじゃない」という<事実>の不安定さや複雑さも表現している。物語だけじゃなく「映画のカメラが切り取っているのは起こっていることのごく一部でしかないよ」という、映画そのものにたいする自己批評的な雰囲気もただよったりする。
『現金に』はそこまで複雑な効果をねらってるように見えない。原作小説、ライオネル・ホワイト『逃走と死と』(読んでいない)がそもそもそういう多視点でカットバックするようなスタイルらしい。というのもプロット自体が、何人ものチームメンバーがそれぞれ有機的に、しかし個々にシステムの歯車として動き、計画者ジョニー(スターリング・ヘイドン)の綿密なタイムテーブルに乗って動くという集団・計画犯罪ものだからだ。整理して見せようとすると必然的にこういうスタイルになっていくんだろうとも思うし、今の視点だとそんなにトリッキーなものには見えない。
ストーリーはひとつの計画犯罪の準備から結末までだけをシンプルに描く。情感のあるシーンやキャラクターの内面を掘り下げるシーン、息抜きの笑いのシーンなど、その手のはほとんどなく、ビシビシと出来事だけつみかさねる。主人公ジョニーがたてた計画は競馬場の馬券売場にある大量の現金の強奪。計画のスポンサーを見つけると、それなりの動機がありそうなメンバーを集める。一人一人はたいした犯罪をおかすわけじゃないし、計画の全貌も知らないかもしれない。ロックされている扉を中から開けて手引きしたり、あらかじめ武器を運び込んで隠しておいたり、強奪された金をピックアップして隠れ家まで運んだり。分け前以前に金をもらって動くメンバーもいる。注意を他にあつめる陽動作戦のメンバーだ。
映画は着々と準備するジョニーの姿と、順に紹介されるメンバーたちの事情を紹介する。時間をちょこちょこと巻き戻しながらね。その一方で競馬のシーンが何度もくりかえされる。これは作戦本番のときのレースなのか、当日の前のレースなのか、別の日のレースなのかよくわからない。ただ何度もほとんど同じ映像がインサートされるから時間を切り刻んでいる雰囲気が強まっている。あいだでそれぞれの時間軸が一致するシーンがある。ジョニーがメンバーをあつめてミーティングするのだ。そこで一番のへたれ、ジョージが悪妻に計画をもらしていたことが分かりいやな空気が立ちこめる。妻は絵に描いたような悪女だから当然へたれの夫なんかに興味はなく、愛人をそそのかして金を横取らせようとする。

映画はこんな感じで群像劇として進んでいき、当日になるとそれぞれのメンバーが計画通り動きはじめる。ここで時間軸がかさなりはじめ、メンバーたちの有機的な動きが見えてくる。それぞれの動きのタイミングがびしびしと合ってくるところは気持ちがいい。ちょこちょことトラブルの芽が出始めるけれど、それでも金をはこぶメンバーは大金がはいった袋を回収して隠れ家に隠し、主犯のジョニーも現場を無事に脱出する。
しかしこの物語はピカレスクロマンじゃない。古典的な悪銭身につかずものともいえ、ここから犯罪者たちの破滅がはじまるのだ。もちろん最大の原因は例の悪妻とそそのかされた愛人。悪人たちは一気に破滅にころげおちていく。ここは長々と描かずものすごく早い。後から合流する主犯のジョニーだけがその難を逃れて、トラブルの気配を察知すると金を独占して逃亡をはかる。しかしもちろんそううまくはいかない…ラストはビジュアル的にもインパクトがある、無常観あふれるシーンでシメる。ジョニーのすべてをあきらめた表情がいい。ちなみにこのシーン、『ゴーストライター』のラストシーンを思い出した(記事トップの写真の感じです)。
映画の撮り方で印象に残っているのがターゲットの大金のあつかいだ。なんというか、いやにぞんざいに扱われているのだ。大袋一杯のドル紙幣をジョニーは強奪するんだけど、係員に命令して袋につめさせている時点でジンバブエの紙幣なみにありがたみがない、紙くず感あふれるあつかいで、あせる係員は紙幣がまいちるのもかまわずにしゃにむに詰め込む。そしてジョニーが逃走用に買ったトランクにそれを移し替えるシーン。ここでも多すぎる紙幣はほとんどやっかいものだ。ジョニーもまたあせってトランクに詰め込む。そろえてきれいにしまうどころじゃなく、紙幣がおおすぎてトランクのふたがきちんと閉まらない。この時点で入りきらない紙幣はじゃまなだけの紙くずだ。それが伏線となって、ラストの…。犯人たちがおどらされて、人生が終わってしまう、その目的物はこんなありがたみのないジャンクなんだぜ、とでもいいたいような皮肉な視線に見える。
語り口はとにかくドライで、キャラクターたちはほとんどストーリーの中で動く、ただのプレーヤーだ。手際よく性格というか人物像は見せているけれどそんなに展開に影響するわけじゃない(ジョージだけが例外)。主人公といえどもたいして感情移入できる感じじゃない。多少、けなげな感じの彼女をそえてすこしおセンチ展開にしているけれど、それもスパイス程度のあつかいだ。全体にストーリーを理解させるための機能的シーンの連続、みたいな印象はある。たぶんエモーショナルな部分は削ぎ落して、とにかくスピーディーに、スポーツを見るみたいにそのゲーム(=犯罪)だけを見せよう、という映画なんだろう。