2人の監督が見せる風景の違い 『旅と日々』&『Love Life』

<公式>

ストーリー:夏の海辺で一人の青年(高田万作)が旅から抜け出してきた女(河合優実)と出会う。二人はなんとなく時間を共有して、次の日荒れた海に泳ぎに入る....それは脚本家、李(シム・ウンギョン)が書いた映画のシーンだった。創作に行き詰まっていた李は雪国に旅に出る。一軒だけあいていたのは人里離れた古民家で、主人(堤真一)が一人でやっている宿だった....

つげ義春の漫画『ほんやら洞のべんさん』『海辺の叙景』が原作だ。1960年代の作品だから今の話じゃない。『ほんやら洞』は新潟県の小千谷地方、『海辺』は千葉県のいすみ市の海水浴場が舞台。旅と写真にはまっていたつげの漫画には、その頃の僻地の漁村や古い宿や海辺の風景が、日本映画の巨匠、宮川一夫の撮影みたいにリアルに描かれていて、対照的に軽くてひょうひょうとした人物は風景の重さの中で浮遊しているみたいだ。

本作は旅と風景の重さと、その風景のなかで浮遊するような人物をそのまま映像にして、原作エピソードも忠実に再現している。2つの物語は映画のなかの現実と、その主人公が描いた劇中劇としてあつかわれている。現実パートが実社会ぽいかというとそうでもなくて、映画全体に、ちょっとした小物以外に時代を強く感じるものを写さず、たぶん意図的にあいまいにしている。原作も時代性があまりなくて説話みたいなのだ。

映画のロケ地は、海辺は神津島、雪の里は山形の鶴岡市や朝日村。原作そのままに風景をじっくりと撮り、ちっぽけな登場人物を風景が包み込み、飲み込んでいくみたいな存在感で見せる。なんといっても印象的なのは徹底的に暗くて、照明もほとんどなくて目をこらさないと何が写っているのか分からないくらいの夜景をところどころに入れてくる。

原作はどっちも作者の投影である男性が視点でもあり主人公になっているけれど、映画では女性主人公の視点におきかえる。雪国の宿パートでは主人公が男性の漫画家から女性の脚本家に変わる。2つの物語は〈夏ー冬〉〈海辺ー山あい〉〈若者ー中年〉みたいな対比になっているから、雪国パートも男女の物語にした方が対比としてもきれいだ。

雪国の宿は、民宿にしても旅館業法的には微妙としか思えない古民家そのもので、だだっ広い座敷で囲炉裏を囲んで、宿の主人も客も同じ部屋に布団をひいている。ここに男女のあれこれが入ると話が変わってきてしまうから、宿の主人はつげ作品によく出てくる「田舎のかわいいおじさん」風に素朴かつイノセントになっていて(犯罪はおかすけど)主人公もそのあたりは問題にしない。

 

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(c)2025 THE FOOL/Bitters End

海辺パートのヒロインは、いま日本映画といえば、の河合優実。つげ漫画のヒロインにある独特の色気をそのままに再現している。それでいてこのパートはどこか濃厚に死の匂いというか予感が漂っていて、海辺の明るさとセットでそこはかとない怖さがある。予感は登場人物の中にあるわけじゃない。かれらを包む風景が気まぐれにもたらすのだ。

雪国パートの主人公シム・ウンギョンは『怪しい彼女』『Sunny』のヒロイン。実年齢より年上の創作に行き詰まる作家になる。不要な男女関係の香りが漂わない、それでいて固く構えている感じじゃなくていい。べんさん役が堤真一で、一見わからないくらいもさっとした東北のおじさんの雰囲気に化けている。

映画で描かれる旅は、ちょっとした旅行でも、出会いとそれがもたらす変化、みたいな期待感とセットになるだろう。本作の旅人はどちらも旅先で停滞してしまい、出会いもすごくささやかだ。風景は無限に広がるけれど旅そのものはそんなにダイナミックなものじゃない、むしろぼくたちにとっての旅に近いかもしれない。


🔹LOVE LIFE

<公式>

ストーリー:市役所福祉課に勤める二郎(永山絢斗)とホームレス支援NPOで働く妙子(木村文乃)と息子の敬太は団地の一部屋で暮らす。二郎の両親は再婚の妙子に微妙な距離感がある。とつぜん家族をおそった悲劇をきっかけに、妙子の前の夫、失踪したパクが現れる。ろう者でもあるパクを支援することで再び時間を共有することになった妙子は....

2022年公開。深田監督が矢野顕子の『Love Life』をインスピレーションに映画化した。こんな歌詞だ。

監督作のいつもみたいに、現代の日本の〈普通〉の人たちの普通の生活から始まる。風景も設定もささやかだ。そこに侵入してくるできごとによって、予想しなかったある種の破綻と解放へ物語が加速していく。『よこがお』と同じ首都圏郊外の風景と生活空間を飾りなく撮って、あえて人物の配置も動きもちまちまとさせているように見える。

舞台になる団地は八王子の長房アパート。夫婦の部屋のバルコニーから見える公園がこれだ。「空間の垂直移動や距離を見せるために団地という空間がよかった」と監督は言っている。団地の棟同士の人の動きが見える距離感も、公園も、周りの道路の見通しも、物語の展開や撮り方にすごく効いていて、絶妙な舞台だ。その分公営住宅の室内は少し寒々しいし、公園もなんだか暴力的なまでに緑もいこいのスペースもないだだっ広いダスト舗装の平面で、ひょっとすると監督の意図以上に荒涼とした何かを伝えてしまっているかもしれない。

面白いのは、撮り方や設定はすごく地に足がついているのに、フィクションとしてのリズムのためにか、リアリティを少し脇においた描写がところどころにある。例えば団地の5階くらいから下の公園の知り合いや、隣の棟の人と大声で会話したりする。あんまりしないよね多分。二郎の同僚のちょっとしたサプライズ演出もわりと謎だ。後半物語がドライブしていくとリアリティは少し後ろに下がって、その分コメディ的な荒唐無稽さやエモーション重視の乱暴さが逆に面白い。

役者は全員すごくいい。かれらが映画を支えている。『宝島』で嘆いたみたいな無駄にエモーショナルな身振りやセリフを排除して、徹底的に抑えたトーンで喋るから、むしろノイズがなくて感情のゆれが十分想像できる。主演木村文乃は真顔直立シーンが多くて無表情の中に内面が滲み出るみたいな姿がいい。永山絢斗も立ち姿がまっすぐ伸びた樹木みたいで派手さやケレン味はなくても絵になる。逆に前夫役の砂田アトムはゆるめで一見情けない雰囲気がじつにいいコントラストだ。そして姑役神野美玲の達者すぎる芝居には驚くだろう。

途中、妙子とパクが手話で盛り上がっているのを言葉が分からない二郎がしゅんと見ているシーンがある。「なんか最近似たようなのを見たな」と思ったら『パスト・ライブス』の1シーンだった。同じ哀しみなのだ。