ギャスパー・ノエ 2作

■LOVE 3D

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ストーリー:マーフィーはパリ在住のアメリカ人。妻のオミと息子のギャスパーと3人暮らし。1月1日の朝、元恋人エレクトラの毋から娘の安否を心配する電話が入る。彼と別れて以来自暴自棄になって連絡も取れないらしいのだ。マーフィーは失った愛を思い出す。それはオミも巻き込んだ鮮烈な思い出だった....

ギャスパー・ノエブエノスアイレス生まれ、パリの映画学校で映画制作を学んだ。監督した長編は5作しかない。当ブログで取り上げている『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』から、こうして残り2作を見ると、つくづく「ノエ印」としか言いようがない特徴がこってりとと盛られている。

ノエ作品はどれも取り返しのつかない時間の中で生きる男女の話だ。運命に抵抗はできない。でも男女はやたらと生命感に溢れている。主人公はいつも若くて体格がいい白人の男女だ。男は背中が厚く短髪で、女は割と背が高くちゃんと筋肉があって、2人ともその身体で目一杯に生の悦びを享受する。ドラッグとsex、それにクラブの爆音とダンスだ。そんな彼らの居場所、空気の悪そうな赤い光と黒い影の空間もノエ作品お馴染みだ。

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本作の構成は『アレックス』に似ている。主人公が現在から過去の恋愛を振り返っているから、時制も基本的には逆行している。ダメになった恋愛でも最初は初々しく楽しげな、そんなシーンが最後の方に出てきて、いつも通り、セリフで物語のテーマめいたことが語られる。ラスト(時制的には最初)で空気が穏やかになってほっとする感じもそっくりだ。

本作は今まで以上にストレートにsexがテーマ。しかも3D映画だ。映画館で見るべきだったんだろう。大画面の3Dでね...どんなだったんだろう?画面はあけすけなまでに写されたヌードシーンが5分に1回は出てくるのだ。そこも含めての立体化だ。

ここで日本人観客はいつものアレに対峙することになる。ぼかしだ。主演男優のプライベートな部分には血液がみなぎっている風なのだが(それを映してるとすれば結構すごいことだが)、ぼかしに霞んで、作り物でもわからない。3Dの中でのぼかしはどう見えたんだろう。下手すると無修正動画の方が見慣れているいまの観客からすると、これはあまりにも伝統的な映画の作法で、久しぶりに見たことで「ああ、映画なんだ」と再認識するという奇妙すぎるメタ体験を得られるのだ。

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前も思ったけれど、動画が無数に溢れている今、映画で見せるsexシーンの意味ってなんなんだろう。昔あったありがたみは完全に消滅している。映し方で独創性がある場合もあるけど、あとは「ポルノじゃないのにこんなん見えてます」という異化効果的な、まあ文脈だよね。あとはあくまで「ストーリーを、エモーションを伝えるのに必要だから」的なことだろう。

本作にもエモーショナルなシーンはもちろんある。恋人2人の関係性が、2人、時にはそれ以外の男女が混じった色々なsexに反映するのだ。ただなあ。マーフィーのあまりのクズっぷりに主人公的な感情移入はできなかった。チープなマチズムを振り回し、恋人がいようがすぐ他の女の子に手を出し、そのくせ恋人には嫉妬深くすぐに切れ、嫌われても自分のエゴだけでつきまとい、芸術的才能もない。それでもエレクトラは(途中までは)愛を語り続けるのだ。

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ノエは情熱的に愛とsexを描くけれど、どこかホモフォビアの香がするし、産む性としての女性の持ち上げやファルス崇拝めいた描き方が、単調に、一面的に感じないでもない。パリで映画学校に通うマーフィーには多分監督のどこかも投影されているだろう。ちなみに本作では息子の名前は「ギャスパー」だし、エレクトラの元恋人のギャラリストは「ノエ」だ(しかもノエ自身が演じて)。

愛を受けながらちゃんと受け止めず、作品も作れず、「何もかも失った」とか泣く主人公にどこか監督の(自己を投影してるとすれば)自虐なのか?みたいにも感じてしまったのだった。


■クライマックス

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ストーリー:1996年、フランス。あるステージのためにオーディションで集められたダンサーたちは山奥の廃校での3日間の合宿で振り付けを仕上げる。最終日の打上げ。DJがダンスミュージックをかけ、プロのダンサーたちが自由に技を見せ合う。ところが途中から急に空気がおかしくなる。パーティーで出された飲み物に誰かが強烈なドラッグを仕込んでいたのだ...

今のところノエの最新作だ。2018年公開。実話インスピレーションだそうだ。本作はノエ作品のもう一つのパターン、「体験型」っぽさが前面に出ている。ノエ作品の特徴である、迷路性がある空間の中での出口が見えない息苦しさ、クラブめいた場所でのダンスとドラッグでもうろうとした視界の再現。『LOVE3D』にもそれはあった。本作ではそこからロマンチシズムを取り去ってる。

話は本当にミニマル。独特なようでいて意外に親切設計のノエ作品らしく、初めにオーディションの場面を借りて、出演者の顔やちょっとしたバックグラウンドが後半のヒント込みで紹介される。キャストは主人公以外、本業のダンサーたちだ。それぞれ得意ジャンルが違うから見せるダンスのスタイルも色々で、前半のクライマックスであるワンカット5分以上のダンスシーンは、いろんなダンスのコラージュみたいなショーになっている。

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パーティーが始まると酒、そして知らずに飲まされたドラッグのせいでsexと暴力が前面に出はじめる。メンバーはいつもながらの若くて身体的エナジーに溢れる男女だ。なんせ全員ダンサーなんだから。白人たちと黒人たちのグループはそれぞれに合宿中狙っていた男女に近づき始める。前作と似てるのはまた白人短髪のクズ男がうっとうしく色んな女性につきまとう。

薬はやがて彼らを強烈なバッドトリップに引き摺り込む。ここからが第二幕だ。時間的には半分近いここでキャストたちのクレジットが凝ったフォントでリズムに合わせてばんばん出てくる。『エンター・ザ・ボイド』でもやっていた。あえての古臭さ(90年代感?)もありそうだけど格好いい。

そしてバッドトリップが本格化するといつもの出口のない息苦しい世界になる。画面の色使いといい、所々で使う真上からのショットといい、ほんとにいつものノエ調だ。ラストはやっぱり悪夢からさめたみたいに静寂が戻る。

ところで、音楽は90年代が舞台だからそれに合わせて往年のダンスミュージックがかかるんだけど、なぜか80年代初期のゲイリー・ニューマンが使われてて驚いた。テクノがポップミュージックに入ってきた初期の頃の人で、ずっと消えていたはず。監督の好みかな?

■写真は予告編からの引用

 

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