凶悪&ゾディアック

連続殺人犯がモチーフの映画。殺し屋や人斬りものを外しても名作が多すぎて書ききれないレベルだ。『復讐するは我にあり』『羊たちの沈黙』『セブン』…『冷たい熱帯魚』もある。ちょっと外したところで『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』のシリアルキラー母娘もの、天才調香師の香りを求めた連続殺人『パフューム』もある。あきらかに異常でありつつ、人の生死を軽々ともてあそぶ、一種の超人性みたいなところが、作り手からすればキャラクター的な魅力なんだろう。

シリアルキラーと追い続ける側とを描いたパターンも結構ある。カリスマ的なシリアルキラーに対比して凡人の刑事や探偵を置く。『羊たち』『セブン』はそうだし、『殺人の追憶』みたいに追う側だけを描いたのもある。 今回の2作は追いかける側の異常さが前面に出てくるタイプだ。


 ■ゾディアック

youtu.be

 ストーリー:1968ー74年に実際に起きた未解決の連続殺人事件のドラマ化。新聞社で時事マンガを描くロバート(ジェイク・ジレンホール)は暗号メッセージを送ってくるだけで全く捜査を絞らせない犯人にいつの間にか取り憑かれる。ロバートは事件にのめり込むあまり家庭も崩壊、それでもひたすらにメッセージを考え続け、捜査員に推理を語って聞かせる....

監督は『セブン』のデヴィッド・フィンチャー。セブンみたいなエッジーな演出は全くなくて、その代わり事件当時の1970年前後のサンフランシスコの風景や空気感をいつもの完璧主義で再現している。どことなく沈鬱で微かな息苦しさがある、でも統一感がある世界だ。

本作は主人公に当たるロバート・グレイスミスが書いたノンフィクションがベース。未解決事件だから、犯人は分からない。映画でも無理に犯人像を創作しないで、追う側の群像劇にした。だから地味と言えば地味だ。ジャーンとかいって後ろに犯人が立っていたり、その手の展開は全然ない。

f:id:Jiz-cranephile:20210714224314p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20210714224336p:plain

どちらかというと事件に取り憑かれていくロバートを(本人の原作なのに)どこか不気味で狂気じみた人間として描いている。ジレンホールはこういう役が割と合う。モラルを捨てた事件カメラマンを描いた『ナイトクローラー』も、タイプは違うけれどちょっとしたソシオパス感があった。

この執念がなんなのかは分かりやすく説明されない。同じように事件を追い続ける、でもあくまで仕事として捉える刑事(マーク・ラファロ)や、途中で追うのをやめてしまった記者(ロバート・ダウニー・Jr)と対比しながら「なんでここまで…」と思わせる。取り憑かれた人間を描いて、犯人とか事件の引力の強さに思いを馳せさせるつくりなんだろう。

f:id:Jiz-cranephile:20210714224617p:plain

殺人犯と暗号。思い出すのは1990年代、神戸の事件だ。当時犯人が公開したメッセージは内容はともかく奇妙なビジュアルが印象的だった。ゾディアック事件の犯人のメッセージは印刷物みたいな端正な文字と記号の配列で、そのセンスにどことなく似た何かを感じてしまう。

 


■凶悪

youtu.be

ストーリー:殺人事件で収監された暴力団組長、須藤(ピエール瀧)の「俺は他にも3人殺した」「黒幕は別にいる」という訴えに興味を持った週刊誌記者、藤井(山田孝之)。須藤の供述をもとに黒幕の木村(リリー・フランキー)を追い始める。他の仕事そっちのけで事件にのめり込む藤井は...

 こちらも実在の殺人犯がモデル。1999年の事件だから『ゾディアック』よりだいぶ生々しい。犯人の2人はどちらも収監中だし、被害者の関係者だって健在だ。主演の1人ピエール瀧は受けるのにためらいがあったそうだ。こっちは犯人をたっぷり時間を取って描いている。

本作は主演3人(といっていいだろう)それぞれの独特な芝居と顔力的な共演がなんといっても残る。おふざけ系でありつつ底知れなさを見せる犯人役の2人。それを受ける山田孝之。『ゾディアック』がジレンホール、ラファロ、ダウニーJrの3人の役者の力で見せているのと同じで、かなりの部分キャスティングの力を感じる。

f:id:Jiz-cranephile:20210714224128p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20210714224531p:plain

上でシリアルキラーものは犯人のカリスマ性が魅力、なんて書いたけれど、本作は真逆だ。犯人は凡庸だし手際も悪いし、金のためにとにかく強引に(それもやりやすい老人を)殺していく。泥臭く、隙だらけの犯罪だ。『冷たい熱帯魚』と共通するつくりだ。対比として記者の藤井がどんどんおかしくなり、「良識ある一般市民」側の藤井の妻も暴力の当事者だったことがわかる。善悪の境界の危うさがキモだ。

そんな感じで芝居には満足したけれど、正直にいって画面全体の殺風景すぎるトーンが苦手だった。半分は意図だと思う。事件の舞台は茨城県水戸市日立市。ロケは埼玉県の東松山市とかだ。都会じゃないし、美しい田園風景でもない。冬のロケなので背景に映る雑木林も雑草地もくすんだ褐色だ。家も彼らにぴったりの築40年くらいの雰囲気の建物ばかり。要するにそういう風土で生まれた事件だということ。すべてにおいて監督は事件を美的に描くつもりはないのだ。虚飾なく描けば地方都市の郊外って要するにこうだ。

f:id:Jiz-cranephile:20210714224238p:plain

だけど一方では日本映画に時々(というか割と)ある、ありのまますぎる風景は時々辛い。思い出したところだと『よこがお』で映される風景の寒々しさに通じる。予算がなくて、ライティングに凝ったり光を待ったり季節を跨いだりがむずかしいというのもあるんだろうけど、作り手たちの中に何か景色を美しく加工することへの忌避感があるみたいに思えてしまう。海外の観客から見ると別の新鮮さがあるかも知れない。でもリアルでも一度も魅力を感じたことがない景色が画面の中でも1ミリもプラスなしで見せられると、なんだか逃げ場がない感じがしてしまうのだ。

■写真は予告編からの引用