ゼイリブ


<予告編>
ストーリー:工事現場をくびになった男ネイダ。同じ現場にいたフランクは彼をふしぎなコミュニティにさそう。街の真ん中の広い空き地にできたコミューンめいたそこには貧しい人々が暮らしていた。近くの教会が突然警察の襲撃を受け、広場のバラックも一掃される。襲撃のあと無人になった教会に行ってみたネイダは、そこにあったサングラスをかけて驚愕する。サングラス越しに見る街の人間たちのなかに見るも不気味な異星人めいた顔がいくつも混じっていたのだ。しかも街の広告を見ると、そこには露骨な「服従せよ」「消費せよ」というメッセージだけが書かれていた。ネイダはすぐに彼らが敵だと決め、たった1人で反撃を開始する……

ある時期、ちょっと気の効いた書店の社会学系の棚にかならずその本はあった。『メディアセックス』。今思うと、いや当時も読んでいて途中から「これは….トンデモ本というやつなのか….!?」と思わずにはいられない何かがあった。それでも話題になっていたのはサブリミナル広告について大々的に書いた、たぶん最初期の、で、おそらく他にはそうそうないタイプの本だったからだろう。アメリカ人の著者に言わせるとコカコーラ社を代表とする巨大企業は、その広告のなかに、表面的なメッセージに隠して人々の潜在意識、とくに「死」と「性」に訴えかけるメッセージをひそませていたのだ。それは商品写真の中にかろうじて読めるSEXの文字だったり、ペニスに見えなくもない形だったり、サイモン&ガーファンクルの歌詞の中にある、不気味な裏の内容だったりした。
で。一種のカルト的名作とされるこの映画を見ると、すぐに『メディアセックス』を思い出さずにはいられないのだった。とくに広告の裏にある「OBEY」とかのメッセージ。細かい部分はわすれたけれどあの本のどこかにも書いていなかっただろうか。監督ジョン・カーペンターが本の内容をどのくらい真に受けたかは知らない。でもネタとしては面白い。監督はそれを巨大企業の陰謀じゃなく、いつのまにか地球に侵入して定着し、支配階層になっている宇宙人の陰謀にした。

サングラスをかけると見える宇宙人の顔の造形がいい。映画の成功理由のひとつだろう。ドクロみたいな顔なんだけど、メイクとわかっていても怖い。街の中のいたるところにいて、しかも彼らは身なりが良くて紳士淑女風の人たちなのだ。監督は「ヤッピーと行き過ぎた資本主義について描いたんだ」と言っている。1980年代にはやった若い経済的成功者たち、ヤッピー。ところでこのコメント、つい最近(2017年)にでていた記事で読んだものだ。「なんで今ごろ?」と思うでしょう? でも記事を読むといろいろあるようで…..
さてこの映画、サブリミナルと宇宙人の潜入をむすびつけたアイディアは、時代性もあるしいくらでも不気味で怖い話にできたと思うんだけど、話はなぜかネイダの意味不明な大暴れへと流れていってしまう。ネイダは孤独な警告者となり、ほかの誰も気がつかないから仕方なく自分1人でエイリアンたちを襲撃し、とうぜん警察から追われる身になる。そのあとも知り合いに分かってもらおうとなんとかサングラスをかけさそうとすると、かけるかけないの言い合いから飽きるほどに長々とつづく喧嘩シーンになる。場所もビルの裏のゴミ捨て場、ネイダ役の俳優は元レスラーだから、喧嘩も倒れたかと思うと「ぶはぁ」と不屈のスタミナで立上がってまたもみ合うみたいな捻りのないシーンだ。そしてクライマックスも、いうたら敵の本拠での最終決戦なんだけど、もはやなんだか分からないアクションムービー化していってしまうのだ。これはいかにも残念だった。

敵の本拠はテレビ局。エイリアンたちは局員やキャスターだ。テレビ局のアンテナから出る電波が人々の脳波に作用し、エイリアンの正体を見えなくしていたのだ。1980年代ならこの設定になるよね。もちろん『メディアセックス』でもテレビCMのなかのサブリミナルは語られていた。それにテレビ局員は浮かれたヤッピーの典型ってことになるだろう。いやおうなくね。