しとやかな獣


<映画概要>
ストーリー:1960年代前半。団地にすむ初老の夫婦。夫はもと海軍中佐、戦後は何をやってもうまくいかず、そのくせ山っ気だけはある。妻はおしとやかな口調だが目が笑っていないタイプ、ときどきひやっとするような一言を吐く。娘はバー勤めのあと流行作家の愛人。息子は大学中退、いまは芸能プロの集金係。その息子、集めた金を会社に納めていないらしい。社長が怒って怒鳴り込んでくる。だが後ろ暗いところがあるらしくて踏み込みが甘い。隣でクールに座っている経理の女性、どうやら彼女も一枚噛んでいるようだ。驚いたふりをする夫婦だけど、息子の所業はとっくに承知で、というよりその金を当てにしてくらしていた...
川島雄三、1962年の作。『花影』の翌年だ。晴海の公団住宅の一室だけで出来事が起こる舞台劇的な映画。当ブログだと同じ川島の『洲崎パラダイス』『幕末太陽伝』より、『おとなのけんか』とほぼ同ジャンル。面白さの質も似ている。人物はそこまでミニマルじゃなく、ひとつの家族を中心に金をめぐって人々が出入りして、団地の一室が騒ぎの核みたいになってくる。ぼくがまっさきに思い出したのは、いまや老体家となった筒井康隆の初期のスラップスティック、『ウィークエンド・シャッフル』だった。
せまい室内で通すから映画は会話劇になる。まどろっこしく見せないために監督はセリフを猛烈なテンポでたたみかける。でも『アウトレイジ』で北野武がやるように編集でテンポを上げていくわけじゃなく長いカットもある。けっこうな長セリフに間髪いれず間の手を入れたり、それを4人くらいで回すこともある。これをこなすためには役者たちもけっこう仕込まれたんじゃないだろうか。ていうかみんな達者だったのかな。すくなくともお父さん役の伊藤雄之助とお母さん役の山岡久乃のうまさはゆるがない。
団地の間取りは2K。北側の玄関を入ると右側にキッチンがあって、まっすぐ進むと南向きのLD。南側に2部屋がならび、となりは和室だ。玄関の左側がトイレと風呂。トイレは和式だが風呂にはシャワーもある。この室内、もちろんセットで、現実の公団に同じ間取りはたぶんない。演劇的効果のためのつくりになっている。玄関の外の階段室が必要以上に大きく、広がりがある。階段室は、出来事の舞台である室内から退場した、あるいは登場しようとする人物が一芝居する場所で、ドアを仕切りに内外の関係も効いてくるので、広さや見栄えがほしかったんだろう。下に降りる階段は、もはや団地と無縁な、象徴的効果のための場所になっている。両側を白い壁にはさまれた直線の階段で、どこかのモニュメンタルな建築にありそうだ。
この場所を使って、監督は絵が単調にならないようにひたすら奇妙なところにカメラを据える。ファーストシーンは窓の外、空中10mくらいにカメラが浮いてるような外からのショット。その後も玄関の外から室内を覗き込んだり、和式トイレの便器越しに人を映したり、天井裏くらいの高さから見下ろしたり、床の下くらいから人物を見上げたり。少し狙いすぎの感もある。

作品全体がなかなかにアバンギャルドで、音楽の使い方も、色彩設計も「これはふつうのトーンじゃありませんよ〜」といわんばかりの攻め具合だ。南側の窓から見える空はシーンごとの雰囲気を決める役目で、異様に赤い夕焼け空をバックに姉弟が狂ったように踊る(そして老夫婦は平気な顔でソバをつまむ)シーンだったり、話が煮詰まって登場人物たちが追い込まれてくると、雷雨が来そうな暗くたれ込めた曇天がバックになる。
役者たち。経理の女役の若尾文子は日本人体型ながらさすがに美人。ドーランが濃いのは時代だろう。このころから比べると小悪魔感もそうとうだ。役どころでいうと女を武器に男たちから金をはぎとって自立をめざす、『赤線地帯』のときと同じ。ルパン三世の不二子のキャラやセリフ回しの原典みたいだ。それからさっき書いた夫婦、伊藤雄之助山岡久乃。ふたりとも30〜40代だけどこの貫禄はどうだ。伊藤のなんともいえないセリフ回し。コテコテのギャグでもないのになんとも笑える。これは聞いてもらうしかないとこだ。娘役の浜田洋子はエロ担当。ミニスカートをめくったり、シャワーを浴びたりと何かと見せる足がいかにも昭和なフォルムなのも味わいだ。息子は騒がしいうえに悪さ感も微妙。芸能プロ社長の高松英郎ほか喜劇役者たちはそれぞれに達者でおもしろい。
お話的には当時の「今風」なんだろう。このへんの時代感覚は面白いね。芸能プロはラテンのシンガー風の歌手(実は日本人というギャグ)を雇って、大物のシンガーをアメリカから呼んだり、アメ車を乗り回していたりする。戦後のエンターテイメントがアメリ進駐軍相手のジャズから始まったことを思うといかにもだ。小金が入った一家は外国産のスコッチを並べ、ビニールのレース風テーブルクロスを敷き、TVをつけると(もう普通のポータブルだ)GOGOダンスが流れている。
登場人物が全員一般的な倫理観からははずれたピカレスクロマン系で、とはいえ悪人讃歌じゃなく、どことなくこっけいに、見方によっては「こいつら全員狂ってる!」ともいえる描き方だ。さっきの狂躁的なダンス&蕎麦シーンなんてその象徴だ。家族のだれも道徳的に反省したりしないので最後まで爽快さが失われない。ただ途中で、強烈に貧困の苦痛をかみしめるシーンをぶちこんで、観客がある程度納得できるようにしている(あと夫婦の一枚岩感もすごい)。
ラストは初めて外からのシーンになる。まだまだ未開発で荒涼とした埋め立て地から団地を見るロケショットだ。完成まもない団地はなぜかすでに廃墟めいて見える。

1970年代の晴海団地(中央)。地理院地図から転載
※写真は映像からの画面キャプチャ