嗤う分身


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ストーリー:サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ )は存在感のない会社員。通勤途中でIDカードをなくすと、毎回守衛に「おまえ誰だ」といわれるくらい。いつも自分の場所をあとから来ただれかにうばわれるタイプなのだ。サイモンのあこがれはコピー室のハナ(ミア・ワシコウスカ)。自宅アパートの、広場をはさんだ向かいに住む彼女をサイモンは望遠鏡で観察する。彼女も孤独なのだ。ところがある日、自分とまったく同じ外見の男が入社してくる。その男ジェームスはコミュニケーション力が高くすべてを上手くやるタイプ。サイモンの人生はだんだんとジェームスに乗っ取られていく.....

ドストエフスキーの小説を翻案したドッペルゲンガーものだ。独特の雰囲気をつくろうとしていて、たしかに統一感のあるテイストにはなってる。ひょっとするとこれにすごくはまる人もいるかも知れない。悪夢的で、レトロフューチャー系で、ダークな画面のボーイミーツガールもので、そこになぜか日本の昭和歌謡が流れ....
ただ、なんか見たことある。この感じ。そもそも作り手はデビット・リンチ的なものがすごく好きそうだし、ドッペルゲンガーとは少し違うけれど、オルターエゴがイカす他人として現れる『ファイト・クラブ』。ライバルの形をとって現れる『ブラック・スワン』とか名作がある。ふとしたことから管理社会のリストから抜け落ちてしまい存在しなくなる話は....映画だとなんだろうなぁ。むかし読んだSFで、こういう世界は何度も描かれていた。筒井康隆大友克洋も書いていた。レトロフューチャーデザインのオフィスは『未来世紀ブラジル』や『ガタカ』、この映画みたいに全編あまり日光がささないディストピア表現は古いところだと『アルファビル』を思い出すし、当ブログでいえばアンキ・ビラルの映画にも通じるとこある。ダークな世界のボーイミーツガールは『汚れた血』。それにアパートの裏窓から望遠鏡でのぞく愛と罪。名作ありますよね。

こういう既視感だけじゃなく、なんていうんだろうな、微妙な軽さというかフェイク感というかね、ダークでスタイリッシュなんだけどどこか全体に軽いこの感じ。いまここな老人の頭に遠い過去から浮かびあがった言葉がある。「ニューウェーブ」。音楽・マンガ・小説・映画.....おもえば各種ニューウェーブ、嫌いじゃなかった。あの辺にあった、尖ってるけど軽い、どことなく薄味な雰囲気がこの映画にはみなぎっている。それに音楽のニューウェーブはR&Bやアイランドやアフリカやラテン.....スタイルを器用に取り入れて世界をつくっていた。似てるね(強引)。懐かしさがもう止まらない。
というわけで、この映画の見どころはニューウェーブ感ということに決まりました。もうひとつあげるならワシコウスカさんの底抜けの可愛さだろう。『ザ・ロイヤルテネンバウムス』のグウィネスもそうだった、憂鬱そうな可愛いヒロインだ。『アリス・イン・ワンダーランド』で有名だけど、少し前にとりあげた『キッズオールライト』の女子高生お姉さんが彼女だった。首のながさがかわいい。主演のアイゼンバーグ、当ブログでは『ソーシャルネットワーク』、それに『イカとクジラ』の繊細な男子高生お兄さんだ。まじめで神経質そうにも見える人だけど、こうしてみると意外にコメディアン資質がある人なのかもしれない。

お話自体は、ひたすら上手くやり、自分の大事なものをつぎつぎに持っていこうとするドッペルゲンガーに主人公が最後は立ち向うながれ。見ようによっては「ありえたかもしれない自分」が活躍する白日夢に満足して実際には何も得ようとしない自分との訣別、とあとづけ解釈もできる。両者はだんだんと区別がつきにくい見せ方になっていくのだ。ちなみに上の写真は冒頭で地下鉄に乗る主人公がトラブルにまき込まれるシーン。降りた主人公と同じ顔が車内に写っている。ジェームスが登場する前にいたんだね。おなじ原作小説で、ロマン・ポランスキー監督作の企画もあったそうだ。主人公はジョン・トラボルタ、ヒロインはイザベル・アジャーニ、それにジャン・レノジョン・グッドマンというキャスト。主演と監督がもめてぽしゃったそうだけど、サイコ系の達人ポランスキーでこのキャストも面白そうだったね。