キッズオールライト


<予告編>
ストーリー:ニックとジュールズは同性の夫婦。家計を支えるニック(アネット・ベニング) は総合病院に勤める医師で、子供たちにもきびしい父親役。 ジュールス(ジュリアン・ムーア)はどこか夢みるクリエイター志望で、ガーデンデザインの仕事を開業したところ。それぞれに同じ精子バンクから提供された精子で子供を作った。姉 ジョニは高校生。弟 レイザーは中学生。子供たちにはある計画があった。自分たちの父親と一度会ってみること。バンクに問合せて父親を突きとめた2人はオーガニックレストランを経営するポール(マーク・ラファロ)と会うことになる....

この映画はそもそも制作の目的がはっきりした作品だそうで、つまり同性婚を政治的に支持するためのものだ。マサチューセッツ州同性婚が合法になったのが2003年。だんだんと合法化する州は増えても南部を中心に反対派の州はずっとあった。この映画の公開は2010年。連邦法の改正で善兵衛もとい全米で合法化されたのは2015年。ずいぶんかかったのだ。映画のメッセージはまったくはっきりしていて、「性別なんて関係なく、責任をもって家族を維持していこうとする意志があればそこには家族がある」ってことだと思う。そして子供たちは問題なく育つ。
どっちかというとそれを象徴するのが父親役のニック。すごく皮肉なことだけど、彼女は保守的である意味女性を見下した旦那みたいになる。ジュールズがはじめるビジネスにも「どうせまた趣味の延長みたいなもんでしょう」的なスタンスで、ほとんどリスペクトがない。そもそもそんなに働いてほしくないのだ。子供たちにもたのしい親というより秩序を守るために権威的に接する。つまり親が女性どうしのパートナーであっても、家庭におけるロールは温存されるのだ。
そこに精子の提供者、育てるということには一切関与していなかった父親があらわれる。むすこは男的クールさを家庭の中に欲していた。だからオールドバイクに乗り、ちょっと悪そうな雰囲気をただよわせているポールにすぐに夢中になる。父とあうことにためらっていた姉も心を許すようになる。この父親はなんとも得な役目だ。子供たちを育てる苦労はいっさいしてない。気がついたら美しい娘といいかんじのボーイが「…..おとうさん?」とやってくるのだ。パパは説教したり、早く家に帰れとかいう立場じゃない。子供たちからすれば日常からすこし離れるうきうきした時間のパートナーだ。格好いいところを見せれば無邪気にあこがれてくれる。前の『6歳のぼくがおとなになるまで』の離婚したパパと少しにている。いや、もちろんもっと軽い。ちなみにマーク・ラファロは『はじまりのうた』では落ち目のプロデューサー役で妙に太い体をじっくり見せていた。

でも生物学的に男で、無理なく男をやれる父があらわれてしまうと、がんばって父のロールを演じていたニックは辛い。しかも、この男は父だけじゃなく「オトコ」としても家庭に踏み込んでくるのだ。このあたりのジュリアン・ムーアの突如欲情が燃え上がる芝居がすごい。いまやオスカー女優だけど『ブギーナイツ』のベテランポルノ女優役(もちろん映画内でポルノ映画の撮影にいどむ)とか、妥協なき役者魂がいいね。それ以外も当ブログでいうと『ショート・カッツ』『ビッグ・リボウスキ』『シングルマン』『トゥモローワールド』となんともいい作品で顔を見せている。そんな「妻」の裏切りを知ったニックが、ぶち切れるのかというと、一転さめざめと泣き出すところも「……なるほどね….」と思わせる。
ところで、ガーデンコンストラクション(つまりデザインと工事と)のビジネスをはじめたジュールズをニックが見下して「ガーデンのなんとか」というと娘のジョニが「ランドスケープよね」とフォローするシーンがある。ここでいう「ランドスケープ」とは屋外空間のデザインや工事のことだ。この言い換えが微妙で面白いんだよね。『アメリカン・ビューティー』では不動産営業のひとが「ここの庭はランドスケープアーキテクトがデザインしますよ〜」とちょっとふかし気味に売り込む。どういう価値観か、「ガーデンうんぬん」より「ランドスケープデザイン」のほうが若干ランクが高い言葉とされているのだ。この辺りの事情はアメリカで資格をとったある人が語っていたことがある。一般的にいうと「ランドスケープ」は多少規模が大きくて、公共性が高い空間のデザインであることがおおい。でも近代のビッグネームたちも、それぞれ個人の住宅の庭で代表作を作っている。むすめにうながされたジュールズは自分のつくりたい庭のコンセプトを語ってみせる。「思想のあるデザイン」を主張するのだ。まぁ、それだけに仕事先でいきなり現場を外注さんにまかせきりでクライアントとアレになるのはどうなのかとも思うが…….