危険なメソッド


<予告編>
ストーリー:チューリッヒの医院の副院長カール・ユングマイケル・ファスベンダー)のもとへ若いヒステリーの女性ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)が入院してきた。彼女はある性的な嗜好をもっていて、それを抑圧していた。ユングは、当時の先端であり異端、ウィーンを拠点に活動するフロイトヴィゴ・モーテンセン)が提唱する対話による療法で彼女の治療にかかる。やがて彼女の症状はおさまり、ユングの指導のもとで精神科の勉強にうちこむようになる。そんなザビーナとユングはいつのまにか愛人関係になっていた。2人の関係、そしてユングにとって父のようでもあり師でもあるフロイトとの友情の行方は……..

クローネンバーグならではのエクストリームな描写はいっさいなくて、落ち着いた流れでお話は進む。この監督にしてはめずらしい歴史もので、そのお作法をあえて崩そうとはしていない。ヴィゴ・モーテンセンマイケル・ファスベンダーもクールで知的なようでいて、暴力も性力も発揮できるタイプだけど、基本そこは抑える。フロイトユングもすっと立ち、黒いコートを乱すこともない。いやユングはこの映画では恋する男だから、愛と性に身もだえるんだけど、体を見せるのはキーラ・ナイトレイだけで、それも映画史に残るレベルのエロくないヌードだ。思うにマイケルを裸にするとマッチョすぎてもはやユングだかなんだかわからなくなると監督も危惧したんじゃないか。マイケルの『シェイム』にあった野獣性は封印して、かつ「野獣性を封印してる」ようにも見せていない。


このお話の骨格はフロイトユングの師弟関係、その訣別、という歴史的にも知られているエピソードだ。2人の医師の出会いと長い対話、信頼関係、でもところどころで見える理論や用語の違い、妻のおかげでリッチなユングとそうでもないフロイトの微妙なニュアンス、学会内のポジション、父殺し物語をめぐるエピソードなど、けっこうこと細かくエピソードが描かれる。でもこれだけではドラマとして地味だ。ザビーナとかれら2人の関係、彼女自身の理論上の業績が明らかになったことで、物語は1人の女を中心にした関係として語ることができるようになった。だからお話はザビーナとユングの出会いではじまって、別れのシーンできれいに終わる。
黒い馬が引く馬車でヒステリーの患者として運びこまれたザビーナ。対話によって、苦痛だけの記憶だと思っていた子供時代の性のめざめを思い出したザビーナは一気に快方に向かう。その後愛人関係になっていたユングが、倫理なのか保身なのか、一方的に関係を解消したあと、ザビーナはフロイトのもとに行く。お話上はユングはザビーナをフロイトに取られたような気分になるし、フロイトフロイトで、患者と愛人関係になった挙句、彼女からのタレコミがあると「なんか困った奴が迷惑かけてるみたいですいません」的な言い訳をするユングに愛想をつかした、ともとれるはこびだ。ザビーナの精神が不安定な時期のナイトレイの演技は、誰でもまっさきにあげるみごとな顔芸で、話しながら心理的葛藤があると顔が前方や縦に伸びるというもの。抑えめ演技を徹底するユングとのコントラストが光る。快癒したザビーナはやがて専門家としてひとり立ちして、結婚・妊娠もして、ユングへの依存から完全に脱し、こんどは馬車じゃなく黒い自動車に乗って去っていく。ロケはウィーンやボーデン湖畔。ユーベンリンゲンやコンスタンスといった街だ。