バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 


公式
ストーリー:20年前にバードマンというヒーローもので大人気だったリーガン(マイケル・キートン)はいまでは半分過去の人。NYの名門シアターでレイモンド・カーヴァー原作の文学劇を演出・主演でやり、演技派に脱皮したい。でもプレミア直前に相手役が負傷退場し、かわりに入った舞台の実力派マイク(エドワード・ノートン)はやりたい放題かつ芝居をひっくり返してでも自分が主演を食ってやる気まんまんだ。ドラッグ矯正施設から退院した娘サム(エマ・ストーン)にはパパなんかネット界じゃ存在してないといわれるし、影響力がある評論家にはこきおろして破滅させてやるといわれる始末。そんなリーガンに何者かの声が「おまえはやっぱりバードマンなんだよ」と呼びかけてくる……..


当ブログではめずらしい公開中レビューだ。ふだんは公開終了後すっかり話題から遠ざかってるやつを、しかもそれをいいことにひどい時は見てからさらに半年後くらいに書いてるからねー......で、この映画。「演劇をつくる映画」だ。「映画をつくる映画」の楽しさについてはさんざんここでもいっている。演劇の世界くわしくないけれど、この映画のなかでも実名で役者たちのポジショニングが匂わされたり、文芸的な、またはアーティスティックな演劇とブロックバスタームービーの関係とかも、いろいろとちりばめられる。
話題になっている《全シーン、ワンカット風編集》。 複数テイクをデジタルでつないで長いワンカット風のシーンをつくるのは、最近だと『グラヴィティ』『トゥモローワールド』のキュアロンの看板だった。とはいっても最長10分ちょっと。それでもすごいすごい言われてたのを、本作ではほぼ全編やりきって、この手法は一気に行きつくところにいってしまった。全編ワンカット自体は、『ロープ』でヒッチコックがすでにやっている(見てません)し、デジタルではソクーロフもやっているという(見てません)。だからパイオニアじゃない。ただ「そうそうない映画」ではある。
ちなみにCGのつなぎだけで長くしてるわけじゃなく、ワンテイクも長い。さらっと見てしまってったりもするけれど、泣きの芝居から喧嘩にいったり、よく考えると普通は切るところだ。役者も演出もすごいことやってるのは間違いない。ちなみに、しろうと目には、タチの『プレイタイム』や『ブギーナイツ』『雨月物語』にあるみたいな、大人数を縦横にうごかすロングテイクの快感ってある。ウェス・アンダーソンの『ザ・ロイヤルテネンバウムス』のロングも好きだったな。

本作での「ワンカット風」は、時間が連続しているように錯覚させるものとは少し違う。約120分で4日くらいを描いてるのだ。だからつながっていても「あれ?ちょっと時間が飛んだかな?」と思わせるシーンもあるし、時にはタイムラプラス風にあきらかに時間をジャンプすることもある。監督が言ってるみたいに、主人公の主観、内面の迷路に観客を誘い込む効果が大きいんだろう。主人公の移動にあわせた主観ショットや肩ごしショットもおおいし、古い劇場に舞台を限定しているから、やたらと舞台裏の暗くてほそい廊下を行ったり来たりする。

だからリアルというよりむしろ夢幻的な世界だ。主人公の想像上の出来事でした、と言われてもありな気がしてくる。しかもマジックリアリズム的に、説明もなくちょっとした超自然現象を混ぜ込む。物語内の妄想なのか、比喩なのか、現実なのか、「はい、内面世界でした」風にオチをつけるところも何度かあったけれど、最終的にはっきりしないようになっているのだ。

さて、じゃあお話的には、というと。見た人でアロノフスキーの2作を思い出した人、多いだろう。『ブラック・スワン』と『レスラー』だ。このコメントけっこう見かける。いやじっさい似てるもの。過去の栄光を失い娘を見て後悔する男の再起(タナトス感込み)は『レスラー』的だし、舞台に向かう主人公のプレッシャーと内面の危機(マジックリアリズム感込み)は『ブラック・スワン』的だ。それに主人公と主演俳優の現実がかぶるところ。正直に言ってドラマ的な部分ではこの2つの方がぼくには面白かった。本作は娘との関係とか、評論家の扱いとか、その他も若干エピソードのパーツに既視感ある感じがするのだ。あとネット描写ね。旧世代=情弱の主人公に、娘=SNS使いこなしが「ほらこんなに拡散してる。これがネットの力よ!」みたいに2014年に言うのって、それ高齢者向きドラマじゃね?………というあたりはあった。

ちなみにバードマン。もちろんバットマンのパロディだ。コスチュームもティム・バートン版以降のバットマンデザインだ。やっぱりアテ書きか?と思ってしまう。でもバード=鳥なのは、いろんな意味が込められている気もする。鳥って、神話とかだと身体から離れて飛んでいく魂の象徴みたいなところがあるからね。飛ぶ夢って見たことないですか? 僕は一時期、いわゆる明晰夢(夢だと分かってる夢)で街中とかを飛んでいたことがあった。この映画にもさっき書いたみたいな夢的感覚がわりと濃厚にある。劇場のくらくてほそい廊下と狭い部屋の連続、そんな迷路の牢獄から抜けて俳優は飛ぶ。急にひろがったステージ上でライトを浴びるのだって飛翔だし、それだけじゃない。まるでギリシャ神話のイカロスとダイダロスみたいじゃないか。

あっそう、サウンド。BGMのほとんどはジャズドラマー アントニオ・サンチェズのソロだ。これ後でサウンドトラック聞いてもつまらないかもしれない。みごとに劇判なのだ。シーンの、出演者の雰囲気を解釈してドラマーが表現する。すごく格好いいし、効果もある。ドラムの表現力におどろくよ。