ビフォアミッドナイト


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ストーリー:ビフォア・サンライズ』から18年、『ビフォア・サンセット』から10年。ウイーンでぐうぜん出会ったジェシーイーサン・ホーク)とセリーヌジュリー・デルピー)はパリでの再会をきっかけに今ではパートナーになっていた。2人の娘といっしょにパリでくらす2人はジェシーの作家仲間の招待でギリシアの別荘で夏をすごす。ジェシーの別れた妻との息子も夏の間いっしょにいた。かれがアメリカへ帰ってしまうとジェシーのせつない気持ちがたかまる。友だちのはからいでホテルでの2人きりの一夜をプレゼントされたジェシーセリーヌだったが、そんな気持ちのゆれもあって、会話は波乱含みに……

前2作見てなくて、これだけ見る人ってどのくらいいるだろう。その人はセリーヌのキャラクターに「なんじゃこりゃ?」的なものを感じないだろうか。中年夫婦の口喧嘩だけをほとんどその時間どおりに見せて、それが映画になっているという意味では『おとなのけんか』に近い作品だ。面白さもそうだ。つまり特別なにかがおこるわけでもなくひたすら会話がつづいて、でもその会話だけで何があったかとかまわりにどんな人間がいるかとかがだんだん浮かび上がってくる。そして大きな動きはなくても喋る人々の位置関係とか姿勢とか(服の状態とか!)で雰囲気は刻々とかわる。シチュエーションとしてはおなじなのに、いつのまにかシーンの意味が変わっていく。ひさしぶりにロマンチックな雰囲気になってじゃれあいのジョークをくすくす笑いながらやりとりしていたはずが、たいした失言もないのに(しゃべりながら思い出したこととかで)いつのまにか喧嘩になっている。そしてテンションをあげて攻撃していたはずが、なきごとめいたぐちに変わっている。
役者2人と監督で練り込んだ脚本とじゅうぶんなリハーサルのおかげで、会話は自然でリアルでしかもおかしい。素でしゃべっているみたいなリズム、リアルの会話みたいな一貫性のなさ。それでもちゃんとお話上のキモ(=ジェシーセリーヌそれぞれにとってのキモ)があって、話題は定期的にそこに戻っていく。そして3作で毎度はいる「なりきり会話」。もはや練達の芸の域だ。2人ともあまりしまりのない格好で、そこもはいりやすさを高めている。

会話がほとんど2人だけで、他の人は彼らとことばをかわす程度だった前2作。今回はすこし幅をひろげている。彼らの世界のひろがりみたいなものへの対応でもあるんだろう。最初はジェシーと息子のわかれのシーン。そして家族4人の車の中、友人たちとすごす別荘、というかんじでつづく。別荘では、男同士は戸外でのんびりとかたり、女同士はキッチンでおしゃべりをしながらあれこれとする。ジェシーは子供たちが海であそぶのを見守る。そして欧米の映画でよくある「食事の席での知的な会話」シーンになる。今回は本格的に他者が会話にかんでくるようになった。伝統をふまえて、それぞれ世代がちがう8人の男女が愛する関係の継続について語る。ホストである老作家と、その友人の女性。2人ともすでに伴侶をなくしている立場で愛を語る。ジェシーたちより少し年上の夫婦。妻は夫の悪口ばかりいう関係だ。そして作家の孫である青年とその恋人の女優。かれらは18年前のジェシーセリーヌみたいに自分たちの出会いがすごくドラマチックなものだとうたがわない。この会話は、なんとなく年長者たちの語りに重みをもたせて終わる。そして2人だけの午後から夜へとつづく。ラストまでもう他者ははいらない、いつもながらの2人だけの会話劇だ。3作共通の舞台になる街のうつくしい風景とさりげない名所紹介ももれなくついてくる。

年齢にあわせて、今回のテーマはそれなりに年をかさねたカップルがどう愛しあいつづけられるのか、みたいな話になる。僕も3年前ならそうとう身につまされたかもしれない。5年前ならなにかそこから学ぼうとしたかもしれない。でも今じゃ、当面そのあたりはどうでもよくなってしまった。セリーヌは、「結局女性は社会的に抑圧される立場じゃないの」というところがつねにがまんできないので、攻撃的な、せめる側になる。たのしげに見えた別荘ライフもさりげなく伏線となって、怒りの火種になっていたりする。ジェシーはおっさんからするとわからないでもない反論をしたり、ときに意味不明な切り口からの攻撃にまわってみたり。ひとついえることは、今回のは3作のなかで一番わらえる。日常を共有するということは、どうしても対立のたねがせこくなるし、2人は、ロマンチックになるには微妙すぎる雰囲気でありつつもそれをもとめる。そう、年をとるというのは不可避的にこっけいなことなのだ。