鑑定士と顔のない依頼人


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ストーリー:イタリアで活動する、美術鑑定のエキスパート(ジェフリー・ラッシュ)。オークションの司会もつとめる彼は古い知り合いの画家と組んで、お気に入りの美人画を安く落札させて秘密のコレクションにしていた。でも彼はパートナーもいない孤独な男。ディナーもひとりだ。そんな彼に若い女性から鑑定の依頼が入る。骨董品の家具でいっぱいの古い屋敷にすむ彼女は、電話だけで顔をださない。「失礼な!」と怒る鑑定士だが、だんだんと彼女に興味をひかれて…...

老人が若者に惚れる「老いらくの恋」モノはわりと定番ジャンルだ。『欲望のあいまいな対象』、ウディ・アレンの『人生万歳!』(アレンの場合、本人が作品どころじゃなくアレなことになっているが....) 、男はまだ中年だけど老醜の香りがただよう『ラストタンゴ・イン・パリ』、恋愛とはちょっと違うが『復讐するは我にあり』では三國連太郎倍賞美津子の関係が濃すぎた。この組み合わせ,もちろん歳をととってるのは男で、若い女に夢中になる(某ヴェニス方面の美少年もあったね!)。で、ここがだいじなんだけど基本はうまくいかない。『欲望の...』なんて完全な間抜け扱いだ。この定型はちょっと訓話的な香りがあるんじゃないかと思う。いい年こいて娘のケツを追っかける老人は道徳的にもやっぱり微妙すぎる存在なのだ。だからどちらかというと笑いものになるオチが多い。そりゃな。万一モノになってしまうとどこか不穏な空気すらただようじゃないか。良識的な映画では老人か作り手か、分別力を発揮してほのかなふれあいレベルでとどまる(せいぜい別れぎわにキスしたり)。ジャック・タチの作品、『プレイタイム』も、かれ原作のアニメ『イリュージョニスト』もこのパターンだ。

本作も「老いらくの恋」モノのといえる。だから主人公が恋に落ちると、やらしい観客は「で、この恋、どんな具合にだめになるわけ?」という興味で見ることになる。直球じゃあまりにも観客に先回りされるので、若い娘を「人に会うのが怖い、お外が怖い」病(広場恐怖症)で顔をださない設定にして、ひょっとするとちがうアプローチかも....としばらくは興味を引くつくりだ。でも意外と早く娘は顔をだしてしまう。べつに病んでる風でもなくてふつうの美人だ。男はベタすぎるくらいに(正直、少年少女むけレベル)恋にあたふたして、そこからはもう.....わたしはさすがにもろネタバレは自重する分別を発揮するが、あなたにはもう結末の予想がついている。そしてそれはあたりです。
でね、そこはいいわけ。恋のゆくえは。まぁ類型なわけだし。このお話はミステリー仕立てでもあるから、そっちも大事だ。最小限ネタばらしすると、ある計画がある。お話通りだとするとじつに周到な、遠大な計画だ。これがすごくきれいなプロットだったら「あれはそうだったのか!」式にパズルのピースがはまる、謎解きの快感になる。でもなあ…….この計画、いくらなんでも成功率が高そうに見えないのだ。いろんな偶然性を当てにしすぎだし、だいたい目的まで遠回りしすぎだ。しかも、モトが取れる保証はまったくないのに仕込みにどえらい金がかかる計画だ。だからあとから説明されても「ええー…...それ無理くりすぎじゃ?」という感じがしてしまい、いまひとつ快感がもりあがらないのだ。見た人しか分からないけど、はめようとする相手は古美術と骨董の目利きとしては最高峰なんだよ。ふつうの仕込みじゃ絶対に成功しない。早い話が彼なみのプロが必要になる。そんな人いた?

まあトルナトーレ監督が描きたかったのはそこでもないのかもしれない。主人公はまるで修道士みたいな存在だ。一生を理想化された美にささげ、かれにとってのマリアはアイコンの中にある。私生活の快楽は秘められたマリアへのあこがれだけなのだ。修道士がなまみの女性と恋に落ちたら.....かれが身も心もささげた神の世界から退場しなければならないのはとうぜんのなりゆきだ。
この映画はオートマタ、機械仕掛けの自動人形がもうひとつのテーマになっている。ぼくもよく知らなかったけれど、こんな歴史らしい。主人公はオートマタの部品をすこしずつ発見して、ついにその生命がよみがえる。そしてオートマタと主人公がむかいあう。参考サイトにあるみたいなきれいにしあがったお人形さんじゃない。グロテスクそのものの畸形の生命もどきだ。そのあと主人公はプラハにあるカフェにある希望をもとめて行く。でもその店内も全面機械時計モチーフだ。オートマタのメカニズムは時計職人たちがつくったという。
シニカルに読取れば、かれは自分の鏡像である機械仕掛けの人形に最後まで呪縛されていたともいえる(なんだか彼自身が機械のパーツみたいにぐるぐる回る妙なシークエンスもはさまる)。でもこのお話を讃歌とおもえば、大きななにかを喪失して、主人公はいわばふつうの人になる。他人に恋して他人に心をひらくようなね。すくなくとも彼はグロテスクなオートマタではなくなったわけだ。