トゥモローワールド(原題:Children of men)


<予告編>
ゼロ・グラヴィティ』のキュアロン監督の2006年のディストピアSFだ。撮影はおなじエマニュエル・ルベツキ
ストーリー:2027年、世界中で子供が生まれなくなってから18年たった。どの国も混沌におちいり、イギリスだけが国境線を軍隊で締めあげて国の形をなんとか保っていた。中央官僚であるセオ(クライブ・オーウェン)は別れたかつての妻ジャスパー(ジュリアン・ムーア)の頼みであぶない橋を渡ることになる。不法移民の少女に通行の便宜をはかってほしいというのだ。ジャスパーは反体制グループのリーダーになっていた。少女を連れて移動を開始するセオだが.....
この映画、ひとことでいうと「シンプルなストーリーを作り込んだ世界のなかで見せる」タイプ。そういう意味では『グラヴィティ』によく似ている。物語は、主人公が少女をなんとか無事に目的地に送り届けるプロセス、ほぼそれがすべてだ。前段もあるし『グラヴィティ』ほど徹底しているわけじゃないけれど、本題に入ってからは寄り道なし。観客はキャラクターに近いカメラで、かれらの困難な旅に同行する。
はっきりいえばその旅はたいして目新しいものじゃない。展開には意外さもないし、目的地もいわゆるマクガフィン(目的のための目的で、それ自体はあまり大事じゃない)めいたあつかいで、「だからどうなるの?」的なところで終わるから、すごいカタルシスがあるわけでもない。追手もあまりキャラクターが立っていなくて、どこか記号的だ。その点では『グラヴィティ』のほうが結果はわかってはいてもすっきりした終わりだ。

この映画も物語は観客の興味を維持して引っ張っていくための乗り物で、作り手たちが見せたいのは車窓の景色、つまりこの映画で想定している世界なんだろうと思う。いまから10年ちょっと先の近未来のイギリスは、新しいインフラやガジェットはひとつもない。世界は明らかに劣化している。街は薄汚れて、不法移民を囲い込むフェンスが張りめぐらされ、東南アジア風の輪タクが走り回るし、バスには暴徒が石を投げつける。不法移民たちは収容所に送られる。街ひとつが収容所になっていて、オリエンタルな混沌とした(この辺の描写はステレオタイプだけど)ストリートの風景だ。いっぽうで、特権階級は囲われた安全な場所で、優雅な生活をつづける。きれいな芝生の公園でのんびり日光を浴びるのだ。
そして、人間たちが再生産できなくなったという設定と対比するようにさまざまな動物たちが画面に登場する。まずは犬。さりげなく、それでも確実にキャストたちのまわりを飼い犬がうろうろしている。猫もいる。ストーリー上の意味はよくわからないけれど、セオがなにかしてるとき、ズボンにしがみついて足をよじ登ろうとする子猫がきっちり映っていた。反体制グループのアジトの農園では乳牛を飼っているし、収容所の街路を羊の群れが通り過ぎ、廃校になった小学校の校舎を鹿がよこぎる。そして特権階級のくつろぐ公園にはシマウマがのんびり散歩する。子どもを動物が代替している設定なんだろう。動物たちはきちんと繁殖しているということだ。これ別にSF的なことじゃなく、だいたい2010年時点の日本で19歳以下人口と犬+猫ペット数はほとんど同じなわけだしね。  
というぐあいの世界だけど、この映画では目的地である「子どもを産み育てる研究をしているらしいグループ」については、ほのめかし以上の説明はほとんどしない。そのせいで若干ぼんやりする部分は確かにある。でもこういうものなのかもしれない。ストーリー上の救いにしてしまうと、いっきに都合のいい設定が必要になって子供向けの話になってしまう。昔の『宇宙戦艦ヤマト』の放射能除去装置みたいなね。そこまでさかのぼらなくても『アルマゲドン』の「なんでそんなに簡単に巨大隕石爆破してんだよ⁉ 」的つっこみが避けられない。救いがあるかないかはともかく、一筋の希望にとどめておくのがおとなのたしなみということだ。

ところで主人公たちはだいたい自動車で移動する。工業も衰退している設定なんだろう、撮影時より古いヨーロッパ車を微妙に改造したり、どす黒く塗ったりして走らせている。現代の風景で撮ったSFといえば『ガタカ』ではもっと古い車を音だけEV風にしてそのまま使ってたけど、こちらではガソリン車のままだ(押しがけしたりするんだから)。最初にでてくる黄色いワゴンはフロントに仮面をかぶせているけれど、シルエットでわかるシトロエンCXエステート。少女とおちあって走るのがフィアットムルティプラ。そのあと乗り換えるのがルノーアヴァンタイム。どれも発表当時は常識からだいぶはなれた、それこそ異形の未来派的な車たちだ。車チョイスの趣味のよさが光るね。
さてこの映画は異様な長回しで有名だ。たとえば長い車内シーンは、のんびり話していると暴徒に襲われて車外から銃撃されて一人が血まみれになる。窓の外ではバイクがぶっとんだりしている込み入ったシーンだ。これは別の場所で撮った6つのカットをつないでいる。それからクライマックスの10分くらいあるシーン。市街戦のなか、銃弾をよけながら、街路から移民たちが住むビルへと少女を探すセオをノーカットで見せる。いつの間にか戦場のまんなかに放り出された主人公。ここは戦場のビデオジャーナリストが撮ったかのようなドキュメンタリー風映像にしている。このシーンも複数カットをCG処理し、舞台のビルもCGで作ったりしつつつないでいる。いっしゅん暗転したり、主人公が壁の向こう側を通り抜ける場面とかはつなぐためかもしれない。

車内シーン用の改造車。キャストは5人、この車にはあと8人スタッフが乗っている
あとはサウンドデザインがおもしろい。最初のシーンでセオが爆弾テロに居合わせたあと、通常の音にプラス、しばらくキーンという不穏な音がしこまれる。つまりセオの耳鳴りなんだろう。ヒッピー風の元ジャーナリストの家ではオールドロックがかかり、生活感のない大臣の公邸ではプログレがかかり、あと何とも意味ありげなのは、あるシンボリックなシーンで、BGMのかわりに外の犬の吠え声を聞かせるのだ。さっきの話とからむのかどうか、不思議な趣向だ。