純喫茶磯辺


予告編
さんかく』の吉田監督の2008年の作品。いい加減なバツイチのおやじ(宮迫博之)が思いつきではじめた喫茶店に、悪態つきながらも付き合う女子高生の娘(仲里依紗)。そこにふらっとバイトで入ってくる、どこかなげやりな女(麻生久美子)。とうぜん親父はその女、モッコに夢中になって.....という話。
だめな感じの男女のだめさを丹念に描くところや、なにを考えてるのかわからない小悪魔的な女性に男女がかき回されるところは『さんかく』と共通だ。だけどそこまでじゃなかった。....なんかトータルでほどほど感がある。ほどほどのプロットでほどほどにおかしみがあって、ほどほどのエロさもあって、あとはそれなりに魅力があるキャストがいて、的なね。けっこう役者の魅力に乗っかっている映画に見える。
ただ、さいしょに思っていた「いまどき純喫茶とか始めちゃうズレたセンス」を笑っていこう式のテイストじゃなかった。それよりはおっさんのいい加減さと、そんな父でも一人親だからすがらないわけにいかない娘の無力感、あとは「そもそも他人の感情を想像する感受性が欠けているから、いつも人間関係がうまくきずけない」女の生きづらさがメインの味わいだ。女のキャラ造形は、雰囲気というより、れっきとした人格類型だろうね。

見てると微妙な居心地悪さがある。3人ともそれぞれに痛いところがあるし、あとはセリフ回しだ。3人とも、思ったことを効率よくうまい言葉にできないのだ。ぴしゃっと言うはずのところでも「いやでももうアレなんでほんとにいいんで」みたいになってしまう。これはもちろんかなり意図的に、「ぱっとしない男女がリアルで会話すればこうなる」をやってるだろう。徹底して誰もが断片的な、語彙のあまりない会話をくり広げる。一人だけ歯切れがいいのが、別れたお母さん(濱田マリ)。たまに出てくるお母さんは、このゆるい人間たちの配置に骨格をあたえるみたいな役目だから、自然とキャラクターもそうなってくるのだ。言葉足らずをおぎなうようにシチュエーションやふるまいがちゃんとある。難解なつくりじゃ全然ないけれど、無用に説明しないから、自然とそれなりに集中してかれらを見るようになる。その繊細な感じはけっこういい。言葉を省略した、非機能的なセリフといえば小津だってそういうところがある。でも小津映画はそれが抽象的な方向にいくのにたいして、吉田映画ではリアル方向にいく。
ま、ジーンズ姿でも妙に色っぽい麻生久美子の生美脚がたのしめるから、そこだけとってもおすすめだ。