都会のアリス


<予告編>←というよりサマリー。見るとだいたい分かっちゃう
ひさしぶりに見たヴェンダース。1973年。ひたすらに移動をつづけるロードムービーだ。
ストーリーアメリカ紀行文を書くため旅するドイツ人ジャーナリスト、フィリップ。でも旅に疲れアメリカの風景に疲れて原稿はまったく進まない。とうとう金が尽き、フィリップは取材をうちきってドイツに戻ることになる。空港にいくとドイツ行きの便は全便欠航していた。ぐうぜんいあわせた女性リサと9歳の娘アリスと、翌日の便に乗るまでいっしょにすごすことになる。翌朝リサは置き手紙を残して消えた。しかたなくフィリップはアリスを連れてアムステルダムまで飛びリサを待つ。でもリサは現れない。アリスがおばあちゃんの家を覚えているというので、フィリップはレンタカーを借りて一緒に家探しをはじめる…
ヴェンダース、けっこうなんでもウエットな人情噺を入れてくる印象ある(『ブエナ ビスタ ソーシャルクラブ』とかさ)けれど、この映画はその中でいうとベタなエモーションの盛上げがない、フッと終わるタイプの物語だ。でもヒューマニスティックな視線はずっと一貫していて、見ていてずっと穏やかな気持ちがつづく。それにアリスがふつうに可愛いので、あんがいキャッチーな一本だ。
ある意味この映画は「見る」ことの映画だ。映像はドライで、ひたすらといっていいくらい、車やバス、モノレール、列車、フェリーなど動きつづけるものからの視線で世界を見ている。主人公も移動を続け、地図にマーキングするみたいにポラロイドでスナップを撮り続ける。少女と2人で証明写真ボックスに入って撮られたり、展望台から望遠鏡で都市をながめたり、彼らが何を見て、何に見られるかがつねに語られている。

撮影のロビー・ミュラーヴェンダース初期のロードムービーアレックス・コックスの『レポマン』(これ大好き!)ジャームッシュの一連のフィルム、それにラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』『ダンサー イン ザ ダーク』など撮っている、好きな映画ばっかりじゃん!
カメラはまずクイーンズの東、ロックアウェイビーチあたりのしけたモーテルやロードサイドの看板をいとおしげに撮っていく。一つに集中することはせずに車のウィンドウ越しに通り過ぎる景色として撮る。その景色は物語の単なる背景や心象風景じゃない、画面の主役だ。でもフィリップは、そんな地域性のない景色のせいで自分を失った、なんて言う。彼は延々とおなじ風景にうんざりして、取材対象の「アメリカ」という像をむすぶことができなくなってしまう。だから何も考えずにシャッターを押し、なにも映っていないような焦点のない景色を撮りつづける。退屈しきったドライバーの目に入ってくる風景は、ソファーに寝そべってみる面白くもないTVの画面と似ている。何の刺激もなく、記憶にも残らず、ただ流れて行く。
そんな彼にひょんなことから道連れができて、彼の移動は少女のためという目的があるものになる。視線も何かを探すものに変わる。その目に映るのはドイツ西部、ルール地方の地方都市だ。たとえばヴッパータール。クラシックな懸垂式のモノレールがやけに格好いい。世界最古の懸垂式モノレールヴッパータール空中鉄道だ。アメリカでは茫漠としたミッドサイズカーに乗っていたフィリップは、ここでは可愛らしいルノー4に乗る。小さな車は街によくなじみ、乗っている二人も小さい親密な空間のなかにいる。アメリカでは焦点のはっきりしないフロントウィンドウ越しだった視線は、サイドウィンドウ越しに沿道を観察する視線に変わっている。舞台は近くの街、デュイスブルグオーバーハウゼンへと移っていく。どれもライン川に近い、ルール工業地帯の街だ。ラストはすごくダイナミックな移動撮影になる。旅が終わった2人はライン川に沿って走る鉄道にいる。2人はボックス席からふと立上がって窓から外を眺める。カメラが外に切り替わって、列車の窓と2人を映す。そこから一気に引いて鉄道が走る雄大な渓谷の風景全体になる。彼らが旅する世界全体を映しているみたいなシーンになるのだ。移動しつづける2人から風景全体までワンカット。たぶん空撮だと思うけど、イームズ夫妻の『Powers of Ten』という傑作ショートフィルムにも似た、スケールそのものがうつり変わるなかなかすごいカットだ。(このショットのアイディアがまるまる青山真治の『ユリイカ』で使われてる)

主人公フィリップはまごうかたなきダメ男として造形されている。なにもできないのを環境のせいにするタイプで、基本的に人に興味がなく、子供相手にも稚気まるだしで口喧嘩をはじめてしまう。物語の最初でアリスの母リサは夫と別れるから、かわりにあらわれたフィリップが父っぽくなりそうなものだけど、とにかく徹底してダメ男なのでそれもひたすら回避している。だから9歳のしっかりした少女相手に、ときどき関係が逆転してるみたいになるのだ。少女は適度にやんちゃで、わがままで、欲望に忠実で、ときには軽く嫉妬もして、ダメ男を罵倒する口調が早くも完成されていて、それでも時には小さな子供に戻る、魅力的なキャラクターだ。アリス役の女の子は、たぶんそんなに芝居慣れしていなかったんだろうと思う。シーンの途中、笑う必然がないところ(それどころか泣くべきところでも)で素で笑ってしまっていたりというのがときどきあっておかしい。
冷静に見れば彼の判断のせいで、2人はもっと早く会えるはずだったリサにも会えずに何日も放浪するハメになっている。基本的に彼はアホだ。でもそれは物語を停滞させる愚鈍さじゃない。そもそも物語を動かしていく主人公というのは、ある種のバカじゃないとなれないのだ。彼にはその資格がある。聖なるバカが子供と旅をする…そのモチーフは10年あとの傑作『パリ・テキサス』につながっていく。