4ヶ月、3週と2日


<公式><予告編>
この映画、ストーリーを紹介するのはやめておこう。旧作とはいえモロネタバレはさすがに自重してる当ブログだけど、ここでは途中の展開もやめとこうと思う。シンプルな物語なのだ。ある冬の1日、2人(というかほとんど1人)の女性の朝から夜までの出来事だけを追う。その細かいできごとの一つ一つが観客のスリルであり緊張感になる。そういうタイプの映画なのだ。
物語の前提になる状況説明も映画の中にはない。こっちは知っていてもじゃまにならないだろう。映画は共産主義独裁のチャウシェスク政権末期のルーマニアが舞台、だから1980年代後半だろう。2月か3月、どんよりと曇った寒そうな1日だ。ある大学の寮のルームメイト、オティーリアとガビツィの物語だ。ガビツィは妊娠している。当時のルーマニアは中絶が違法(多産政策がとられていた)。でもまだ学生の彼女は母になるわけにはいかない。2人はどうやら何かの方法で中絶手術をしようとしていて、朝からその準備に忙しい…。

当事者としての女性が社会に負わされる試練。なんてまとめるとやけに軽くひびく。この映画、男は当事者性から逃げているか、それにつけこんでいるか、あるいは全体として彼女たちを抑圧する社会の1ピースか、という視点でしか描かれていない。男としてはなんだかすまない気分にさせられる系の映画ともいえる。そういう映画、このブログではアルモドヴァルの『ボルベール 帰郷』がそうだった。描き方はまったく違うけどね。あちらはいかにもドラマらしく、にぎやかで少しこっけいで、わざとドタバタさせた物語だった。こちらは撮り方もドキュメンタリー的な手持ちカメラがほとんどで、画面は冬のヨーロッパらしくグレイがかった殺風景な景色。主人公の2人は最初から最後までほとんど1度も笑わない。そういうトーンの映画だ。

でも、だからといって女性しか、自分のこととして見られないかというと、そんなことはないだろう。映画の中のルーマニア社会は、男だろうと女だろうといかにも息苦しそうだ。映画に出てくるホテルのフロントは、こっちの感覚でいうサービス業の雰囲気はまったくない。むしろ国家の施設に泊まる許可を与える、的な雰囲気で、しかも宿泊客をきびしく監視する。室内に監視カメラがないのが不思議なくらいだ。その取りつくしまのないフロントは女性。バスにのればいかにも権威ありげな顔をした検札が乗客の切符をチェックしにくる。それも女性だ。抑圧する側もまた女性、ようするに女同士で連帯できるような世界じゃないんだよ、という描き方なのだ。ここは女の連帯がにぎやかさを生んでいた『ボルベール』と違う。

じじつ、ルーマニアの首都ブカレストの名門ホテル、アテネ・パレス・ホテルは、共産主義時代には数少ない西側外国人も泊まるホテルだったのだが、従業員の多くが秘密警察やスパイだったそうだ。ルームキーパーもそうで、平気で宿泊客の荷物の書類をチェックしたりしていたというのだ。検札には僕もちょっと思い出がある。ちょうど世紀が変わった頃、ルーマニアじゃなくチェコだけど、真冬の寒い日に郊外行きの列車に乗っていると車掌が検札に来た。その時おなじ客車にいた中年女性の、まるで警察にあったみたいな落ち着かないようすがすごく印象に残った。別になにかトラブルがあったようには見えなくて、ただそういう関係なんじゃないか…と想像させる雰囲気だった。切符を見せるときのへりくだるような視線。車掌はどの客に対してもむっつりと「…まぁ、いいか」というような顔で切符を返した。

それでも市民たちは抑圧の隙間をぬって生きる。ヤミ経済が水がしみこむみたいに足りないところを埋める。大学生の友達どうしもヤミの化粧品やサニタリー用品を売り買いするし、街では西側ブランドのタバコを売っている男がいる。通貨代わりにもちょっとしたリベートにもなるのだ。バスでは見知らぬ青年がこっそり切符をくれる。主人公オティーリアを見ていると、なんでこんなに報われないことで苦労するんだ?という気になる。大義も、メリットも、気持ちとしての充足感も、そもそも肝心の友情さえもあやしいものなのだ。それでも支えあわなければならないくらいの社会だったんだろうか。

映画の舞台になる80年代後半のすぐ後、ブカレストでは市民蜂起が起きてチャウシェスクは殺される。でも解放されたルーマニアは強烈なインフレに見舞われて、下手をすると今でも旅行客には「ルーマニアは途上国のつもりで行け」なんて注意されることもある、そんな状態にとどまっている。解放直後のルーマニアのなんともいえない感じは、ギリシアアメリカ人ジャーナリストのロバート・カプランが書いたルポ、『バルカンの亡霊たち』になまなましく描かれている。

ティーリアの長い1日、いつのまにか日が暮れて街は真っ暗になっている。メインストリートも、アパートの階段も、歩道橋の上も照明はまばらで、ちょっと裏道に入ると女性じゃ危ないような真っ暗な路地だ。当時のルーマニアに多かったという野良犬がうろついている。オティーリアは緊張と恐怖で息をはずませながらホテルに帰りつく。さっきいったみたいにホテルだって気を許せる場所じゃない。それでもとりあえずの安住の地としてそこに戻るしかないのだ。