ヌードの夜


<予告編>
石井隆。僕が初めて映画で石井隆にふれたのは日活ロマンポルノ『天使のはらわた・赤い淫画』(1981)だった。原作石井隆、監督池田敏春、主演泉じゅん。ポルノのつもりで見に行ったら純粋に映画としてすごく面白かった。池田敏春監督、今何を撮ってるのかな?と思ったらちょっと何ともいえない感じで亡くなっていたんだね。助演の女優さんも…30年前の映画とはいえ、こんな感じで消息を知るとため息がでます。石井隆は元は劇画家だけど、そっちはあまり読んだ記憶がない。
さてそれ以来そうとう久しぶりに見た石井隆もの。『ヌードの夜』は1993年だから時間的にいえば続編『愛は惜しみなく奪う』より『赤い淫画』に近い。だからか「ああ、あの時代」というおもむきがけっこうある。おもむきといえばやっぱりヒロインの余貴美子だろう。バブル残滓時代、メイクや衣装はあの時代感全開で感慨ぶかい。ちょっと下品なボディコンのワンピース、全体に四角いシルエットのジャケット+長めスカート、ウェーブがかかった長めの髪。ちなみにあの時代、90年代アタマくらいまでの女性はやけに四角かった。若いOLさんも前髪が立ちつつ四角かったし、おばさんが気合いを入れて出かける時も四角かった。おばさんは全体にアスペクト比がより1:1に近いからトランプの兵隊が行進してるみたいだった(厚みもあったが)。そんな彼女たちのシルエットはあまりにも昭和と連続していた。ええと、何をいってるのか意味不明なひと、この感じですよ!この映画の余さんはぴったりそんな感じだ。あの微妙なスカート丈のせいでよけいそう見えるのかもしれない。念のため言っておくとすごく美しいです。ちなみに主人公竹中直人は顔が若いけれど、もう現行モデルになってるからそんなに変わらない。

ストーリー:ヒロイン名美(余貴美子)は新宿でなんでも代行屋をしている紅次郎(竹中直人)に1日デートのお供を依頼して、その晩、腐れ縁のやくざ、行方(根津甚八)との関係を清算するためにホテルの一室に呼び出して刺し殺す。自分は現場から消えて、次郎を巻き込んで死体を処理させようプランだ。次郎はこんなものを押し付けられてはたまらないと名美を探し出して凍らせた死体を突き返す。そこへ行方のゆくえを探していた弟分の仙道(椎名桔平)が名美の居場所を突き止めて追込みをかける…
ストーリーだけ見ると名美はファムファタール的な悪女みたいだけど、じっさいは苦労人で小市民で完全犯罪をキメるほどの頭もない、どっちかというと共感をよぶような女性だ。余貴美子は根が善良そうな雰囲気をかもし出して、さっきいったみたいな理由でヌードシーンも妖艶な悪女の雰囲気じゃない。彼女のアパートが荒らされたあとにピエロのオルゴールが悲しく床に転がる、そんなキャラクターなのがすこし意外だった。

次郎は典型的なハードボイルドの探偵の立場で、抑えめの演技で渋く演じる。ハードボイルドの定石通り、あちこちでぼこぼこにされて横たわる。でも沈着なタイプじゃなく純情で一途、終盤で意味もなくおどけてみたりして、決してクールな探偵じゃない。ようするに、「探偵と悪女のフィルムノワール」的材料だけど、ウエットで叙情的で人間味があるのだ。そこを引締めるのが若く暴力的なチンピラ役の椎名桔平だ。『アウトレイジ』で若頭がすごく板についていたけど、まさにあれの若い頃といわれても違和感ない。体つきが細くて手足が長く顔が小さく、昭和な体型の二人とは別の人種に見えるし、それがバネみたいにやたらと良く動く。まだ顔が若くて妙に平板なのもあって、序盤は「これは話して分かりあえるタイプじゃないな」というのが一瞬で分かるようなキャラクター、それでもやっぱり鉄のように怜悧なタイプじゃなくだんだん人間味が出てくる。
画面は…なんていうんだろう、監督が、生活感が出すぎるようなやぼったい絵を嫌っているんだろうというのはよく分かった。そういう世界はできるだけ排除されている。だけど、クールなスタイリッシュさを求めているのかというと、そういう雰囲気でもない。ある種の日本映画らしいとしかいいようのない空気感が濃密だ。これがまた強烈に「あの時代」を感じさせるのだ。雨の使い方、街の光の入れ方、たとえば次郎の事務所兼ねぐらのがらんとした雑居ビルのインテリア、スタイリッシュといえばそうだ。だけど映画屋さんぽくもあり…。CM映像みたいな脱臭したスタイリッシュさじゃないのだ。映像の時間あたりの予算もぜんぜん違うだろうけどね。映像がデータ化されていない(フィルム)分、撮影後に気軽に全体のトーンをいじったりするのもそうそう簡単じゃなかったのかもしれない。そんなこんなで、すごく「ある時代の日本映画を見た…!」という気分にさせる1本だった。