ローズマリーの赤ちゃん


<参考(imdb)><wiki:面白いエピソードいろいろ!>
吸血鬼』につづいてポランスキー初期の名作。NYのクラシックなアパートに新婚の夫婦が引っ越してくるところから物語ははじまる。夫はうれない俳優。いわくありげなアパートで隣にはなんだか趣味の悪い老夫婦がすんでいる。ある事故がきっかけで老夫婦との交流がはじまると、かれらは好意なのかやたらと干渉してくるようになる。夫は妙に気が合うようす。二人だけの世界のはずが毎日のように老人が入り込んで来て不満な妻だが、やがて待望の妊娠がわかる。ちょうど夫も大役をゲットして忙しくなる。でも妻はハッピーな気分になれない。じつは子づくりの晩もどうもふにおちないところがあるのだ。老夫婦が紹介してくれた評判の医者はひどいつわりにも取り合ってくれないし、老婆は毎日不気味な薬草入りドリンクをつくってくる。すこし落ち着いたころ、妻はある警告をうける。隣人の正体はどうやらただ者ではなさそうなのだ。夫はばかばかしいと相手にしてくれない。孤独感を深めた妻はついに家をとびだして、信頼している別の医者のところへ駆け込むが・・・という話。

1967年公開の『吸血鬼』はクラシックなホラーのテイストで撮っていて、メイクも演技も美術もちょっと古めかしい(60年代にしても)ファンタジーだったけれど、翌年に公開したこの映画は、当時のNYが舞台で、画面も演技もすっかり現代風の(当時のだけどね)テイストになる。とはいえモチーフはとてもふるめかしい、ずばり「悪魔」。途中までは悪魔や黒魔術の本にはまって妄想にとりつかれた妻のサイコスリラーみたいな雰囲気ですすむ。妊娠のよろこびから一転してつわりの不安におびえ、周りがおなかの中の子供をうばう敵に見えてしまう、不安な精神がうみだした認知のゆがみ、みたいなつくりなのだ。もちろん意図的なミスリードで、このミスリードのうまさが名作たるゆえんだと思うけど、妄想のように見えていた周囲の陰謀がラストでは一転して現実味をおび、そのぶん逆に物語は急にファンタジックになる。おもしろいのは、邪悪な人々も雰囲気は「ふつうの人」のままで、モチーフの「悪魔」は、主人公も、あるいは周囲も支配する観念のようにも見える描き方だ。
舞台のアパートの外観は有名なダコタ・ハウスでロケ。アパートの1区画を薄い壁で仕切って2戸にした1つを借りている(その隣人が老夫婦)という設定がキモだ。そこだけ壁が薄いから隣家から不気味な朗唱みたいのが聞こえて来て落ち着かなかったり、奥まったクロゼットがじつは隣家とつながっていたり、と容易に侵入を許してしまうこの空間が、妻の不安を実体化しているともいえるのだ。ちなみに『吸血鬼』と共通しているのが、老夫婦の部屋に行くと、彼らの不吉な素性を暗示する不気味な絵画が壁にかざってある。
有名なグラフィック
さてこの映画、3つの植物(名)が印象的にでてくる。
ひとつめはタニス。隣人の老婆が妊娠した妻に毎日飲ませる薬草だ。これなんだろうと思っていろいろ調べてみたけれどよくわからない。「根っこは月夜の晩に収穫すること」とか「精神科医に少女が語る<前世の記憶>の話にでてくる薬草」とかいうのが見つかった一方、「これはこの物語の中の創作です」とぴしゃっと言っているのもあり、少なくとも日常的に薬草として使われているものじゃなさそうだ。
もうひとつは主人公の名前、ローズマリー。この名には、なにか意味があるんだろうか?ローズマリーといえば今では関東地方でもよくみかける常緑低木で、つぼにはまると下品なくらいよく育つ丈夫なヤツだ。地中海沿岸原産のこのハーブは、聖母マリアにまつわるエピソードをもっていたり地域によっては宗教的儀式や魔除けに使ったりということもあったらしい。rose-maryという名前は「海の露」というラテン語から転じたものだそうだけれど、英語圏なら単純にバラとマリアを連想してもおかしくない気がする。
そのせいか、やけにシンボリックに使われるのがバラだ。それも真っ赤なバラ。赤いバラというのは命の再生のシンボルだったり、地域によってはやはり魔除けの意味合いがあったそうで、キリスト教ではこちらも聖母マリアと強いむすびつきがある。赤いバラはすくなくとも2回、印象的に使われる。最初は夫が買ってくる。子づくりの晩だったかな? 2回目は、妊娠中の妻が自分のペースを取り戻そうと友達を呼んでパーティーをするシーン。ここで女友達が大量の赤いバラの花束を持ってくる。真っ赤なバラは画面上の効果ももちろんあったとおもうけど(小津安二郎が画面に赤いアクセントを入れていたみたいに)、なにも2回おなじ花を使わなくてもいいはずだ。だいたいローズマリーはほとんどシーンごとにちがう服を着ているくらいだしね。やっぱりどことなくマリアを連想させたかったんだろうか。だとすればそれは、おなかの子が普通の人じゃないということを暗示するだろうし、同時に悪魔的なものに対抗する力もイメージさせるだろう。
主演はミア・ファロー。当時父親世代のフランク・シナトラと結婚していた彼女は、監督の最初のイメージとはちがったらしい。監督はジェーン・フォンダや妻となっていたシャロン・テートを考えていたというのだ。でもヴィダル・サスーンによるショートカットのミアは、少し中性的でふしぎな透明感がある、すごく魅力的な存在だ。彼女の雰囲気と演技は、さらっとしたファッションもあって、この映画をこってりした古臭さからとおざけ、モダンな雰囲気を持たせることに成功している。このころ彼女は西海岸的なヒッピー=インド神秘思想にとっぷりつかっていて、公開の年にビートルズのメンバーらとインドに瞑想修行ツアーにいってしまう。そんな彼女はこの西洋悪魔譚をどんなふうに感じながら演じていたんだろう。夫役はジョン・カサヴェテス。彼に決まる前はR・レッドフォードやJ・ニコルソンも候補にあがっていたそうだ。ちょっと不思議だったのは、妻がおなかの赤ちゃんが動いているのをはじめて感じたとき"It's alive!"といってるのだ。たしかにまだ性別はわからないけど、でも「IT」なんだ…と思った。そういうもん?