ハーブ&ドロシー


<公式>
NYにすむ老夫婦に何年か密着して撮ったドキュメンタリー。ちょこんとしたおじいさんと、ちょっと足が不自由になったかれをささえて歩く聡明そうなおばあさん。二人と猫が住んでいるアパートはなんだかごちゃごちゃとして、とてもトレンドやハイカルチャーに縁がありそうには見えない。でも名だたるアーチストの個展があれば二人はかならず顔をだし、アーチストにあいさつされる。巨大な美術館らしい建物の奥にとおされて、学芸員にかしづかれてアートピースをながめる。それも自分たちの寄贈したものだ。そう、この二人は東海岸コンテンポラリーアートシーンでは知らない人はいない有名コレクターなのだ。おじいさんがハーブ・ヴォーゲル、おばあさんがドロシー・ヴォーゲルコンセプチュアルアート・ミニマルアート中心にしぼった二人のコレクションは、アートにあまり縁がなさそうな義姉が「ちょっと売ればあたしたちみたいな余裕のあるくらしができるのに」と苦笑するくらいになった。
監督は20年以上NYで活動しているフリーのジャーナリスト、佐々木芽生だ。2004年から4年かけてふたりに密着し、少しずつ撮影されたという映像は、時間軸をばらばらにして再構成される。だからハーブとドロシー、とくにハーブはわりあい元気に歩き回っているときと、かなりよぼよぼしているときとがある。よぼよぼはしていても、アーチストと語り合っているとき、学芸員の前でアートピースを見ているときの彼のコメントはきらりとするどい。中流の給与生活者のかぎられたお金と仕事以外の時間をすべてつぎこんで、こつこつとコレクションをつくりあげてきた二人は、美術展に行って「ほえー」と嘆声をあげながら目玉の名画の前にきても後ろからおされて水平移動する美術ファンとはまったくちがう目をもっている。かれらの目は、ほしいかどうか、それにお金を払えるくらい気に入るかどうか、そういう基準でとぎすまされている。

話は変わるけれど、ぼくの友人にある会社でまぁまぁのポジションにいるおとこがいる。仕事をつうじて知り合った彼の友人は小さい会社を経営している。その友人が最近いやにトーンが暗い、彼は少し心配する。仕事は少ないし、後継者もうまくそだっていないようだ。彼はどうことばをかけようかと思案する。でもぼくは彼にいってみる、もしその権限があるなら、仕事を発注するのがいちばんかもよ、と。相手の仕事にお金をはらうということ。事務的な発注の連絡であっても、こころのこもった応援の言葉よりあいてを救うことはある。すくなくとも真剣に仕事をしている相手にたいするきちんとした発注ならそうだ。ましてや自分自身をリソースにして表現の道をえらんだアーチストならなおさらだろう。それはおおげさにいえば「生きよ、あなたがえらんだしごととともに」というメッセージになるからだ。
ハーブとドロシーは、単純に、自分たちの生活が破綻しないレベルで、ほしいアートピースを買っていただけかもしれない。しかも自分たちに経済力がないことを前面にだして、けっこう安く買っていたふしもある。もっと金銭なんかからまない魂の交流があるはずだ・・・そう思うひともいるだろうし、そういう交流をしているひとたちもおおぜいいるだろう。でも一買い手としてアーチストに向き合った彼らが、ぎりぎりで活動していたアーチストのなによりの救いになり、かれらのマインドと活動をささえ、やがてかれらがビッグネームになる、その一部をになっていたこともあったのだ。だからアーチストたちは意外にちゃっかり屋のふたりに思わず安値で作品を売ってしまう(それを好きにならないアーチストもいただろうけど)。もちろんふたりが転売益をねらう投資家じゃなく根っからのアートファンだとよくわかるからでもあるだろう。
ふたりのバイオを紹介する映像から見る限り、旦那のハーブはどちらかといえば下町風の軽くワルが入った青年だったようにも見える。そんな彼がなぜ夜学で大学を出てまで美術の勉強に打ち込み、しかもけっして分かりやすくはないコンセプチュアルやミニマルアートのコレクションにはまっていくようなコアなアートファンになったのか、そこは説明されているようでいてはっきりとはわからなかった。でもいちアートファンのコレクションは散逸させるにはあまりに貴重なものになり、ナショナルギャラリーの担当者が多くを引き取って保管するようになる。「好き」を30年間とことんつづけてきたことで、特別な才能も環境ももっていない個人が国家の文化事業にいささかの貢献をするまでになる。なにかを好きでいつづけることのちから、みたいなものも感じる映画ではあるね。
ふたりに苦笑していた義姉夫婦は自分たちの一戸建てのリビングにすわってインタビューを受ける。たしかにハーブとドロシーのアパートよりはずっと広いし家具も新しげだ。でもうらやましい部分はみあたらない・・・いやいやそうじゃないな。そういう豊かさをえらんだかれらにケチをつける理由はなにもない。ただかれらにはハーブとドロシーが満喫しているタイプの豊かさがあることはうまく想像できないのかもしれない。<2012.07.29追記>
ハーブ&ドロシーのハーブことハーバート・ヴォーゲルさんが7.22に亡くなりました。89歳。幸福な生涯だったのかどうか、映画一本でしか知らないぼくにはわかりようがありません。でも二人の雰囲気だけ見れば、そうだったんじゃないかな、と想像します。R.I.P.