東京暮色

1957年の作品。1953年に『東京物語』を完成させ、すでにゆるぎない巨匠になっていた小津安二郎の白黒最後の作品だ。翌年にカラーの『彼岸花』を撮っている。この『東京暮色』、特に戦後の小津にしては異色の作品とみなされているようだ。評価が分かれる作品でもある。ぼくも正直微妙な後味を感じないではいられなかった。
その頃になると、小津は作風をますます洗練しつつ、映画監督協会の理事長になったり、褒章や芸術祭文部大臣賞、芸術院会員選出など国からの評価も確固としたものになってくる。若い監督や観客たちからすれば文字通りのエスタブリッシュだ。物語も描写も「お上品」で同時代のリアリティを感じなかったかもしれない。
この作品ではそういう批判を意識していたように見える。他の作品に比べると物語は深刻だしドラマチックだ。いつもみたいに、波風が立ってもそこはかとなく寂しい小団円的に終わるのではなく、「えっ」というような唐突な悲劇に転がり落ちてしまう。戦争中の出来事が因縁になり、母子の対立がむき出しで描かれる。山の手的世界が主体の他作品とちがって、ヒロインの一人は「町の不良」のたまり場に入り浸り、いつの間にか子供まではらみ、堕胎し・・・と社会のアンダーワールドにちょっとだけ踏み込んでいる。悲劇を一身に受け持つ妹(有馬稲子)は最初から最後までユーモアと無縁でつらそうだ。
語り口も異色だ。ストーリーテリングがそれほど重要じゃない小津の作品のなかではまれだと思うけれど、序盤では物語のごく一部しか見せず、少しずつ謎の答えを見せていき・・・と謎解き型で観客の興味を引っぱっていく。あと、画面が異様にローキーで、夜の場面が多く暗いイメージなのも独特だ。

で、どこが微妙かというと、その「いつもと違う部分」が、やっぱりこなれてないように見えてしまうのだ。 巨匠とはいえね。 いつもと違う部分といつもの部分の混在ぶりが違和感のもとなのかもしれない。
たとえば父親役の笠智衆。銀行員の設定だが例によって都市のインテリの空気感がないのはいいとして、この役でも一貫してオブジェ的演技で通す。今回はさすがに少し食い合わせが悪く感じる。それは物語ラスト近くの悲劇の場面で表面化するだろう。黒澤明だったら「ぐぬおおおお」と慟哭させるだろうシーンでも、笠にゆるされているのはアルカイックスマイルを崩さずに正座のままとつとつと語ることだけなのだ。これを「喜びも哀しみもすべて飲み込んだ微笑み」みたいに読み取るのはちょっと無理がある。
その悲劇自体もいまいちテンションがあがらない。コメディっぽいものがまざっているせいもあって、結局たいした事が起きていなかったように勘違いしそうなのだ。よくいえば小津らしい抑制が効いているが、一連のシークエンスとしてはなんだかクライマックス色がうすい。あとはありがちなことだが、若い不良グループの描写も、たぶん同時代の若い世代から見たら、よくある「上の年代が描いたリアリティのない不良像」だろうということは容易に想像できる。いかにも、な感じなのだ。
結局、一番物語にフィットした存在感と演技を見せているのは五反田の雀荘のおかみ、喜久子(山田五十鈴)だ。最近までちゃんと彼女の演技を見てなかったけれど、女性ながらに愛憎も業も飲み込んで生きていくような重厚な存在感はなかなか他には見当たらない。同じ1957年に黒澤明の『蜘蛛巣城』で能をベースにした凄絶な演技を見せている。キャリアの一つの頂点の年だったんだろう。ラスト近く、彼女と連合い(中村伸郎)が北行きの長距離列車で東京に別れを告げようとするシーンがある。喜久子はある人を待ってなんどもホームを気にする。全体のなかでも記憶に残るいいシーンだ(少し様式的ではあるけど)。
物語はおおきくくくればいつもの小津の家族の物語だ。家族のだれかが去っていき、最後に父親が残される。ただ家族それぞれの問題に他の家族たちがなにもできない「無力」さがきわ立つのが特徴かもしれない。姉(原節子)はそれなりに泣き崩れてみたり、怒りを表明したりするのだが、父親は茶の間にどかっと腰をおろして娘たちにああだこうだと説教するだけで、結局なにも主体的に行動できず無力にラストを迎えるのだ。基本的に娘に決断をまかせてそれを受入れるのが小津作品の父像だけど、それにしても、一人ずつ家族の女性たちに去られる父は、それにあがらおうとする動きがまったくない。よく分からないが、それってこの一連の物語を受け止める主体が彼だからということなんだろうか。観客は彼に仮託して物語を見ることになる。うぅん・・・だとしたら、やっぱり若い観客にシンパシーを感じてもらうことはむずかしかっただろう。翌年の『彼岸花』から、監督はまた手慣れたいつもの世界にもどっていく。