死なない子供、 荒川修作


<公式>
これは映画というよりは、記録映像。アーチスト荒川修作+マドリン・ヒギンズのデザインした住宅「三鷹天命反転住宅」の住人、映像作家の山岡遊眞が、荒川本人のリクエストで、自分たちがどんなふうにこの特殊な空間を住みこなしているか、日記代わりに映像で記録しつづけた。 映像は、そこに住んでいる自分たちの日常と別の部屋の住人たちへのインタビュー、建物の見学会のときのようす(大人たちが空間に抱かれるように自由なふるまいをする)、それに荒川本人が語る映像が交互にあらわれる。
この家、ぼくは実物を見たことがない(追記。外観だけは見た。東八道路沿いにあっけらかんと建っている)。自分なりの解釈を書くと、ひとつは「重力」との付き合い方だろうと思う。建築がほとんど水平面と垂直面で構成されているのは、「近代文明が何か大事な物を失って無味乾燥になったから」(だけ)ではなくて、重力に対して最も安定できる面が水平面だし、垂直に重力を受ける構造にはそれなりの合理性があるからだ。水平面にいるとぼくたちは足もとをあまり意識しない。注意深い建築家のデザインによって、健常者だったらふつうに立った姿勢のままで室内のどこでも行ける。よっぽど不注意な人でなければ、ぼおっとしていても何かにぶつかったりころんだりする危険もない・・・・それが感覚を鈍らせている、または意識や行動チャンネルを閉じてしまっているともいえる(たとえば体の動かし方も決まった物になっていく)。

自然環境の中に行けば、微妙な地形の変化やいろいろな空間にかこまれて、だれでもその感覚は鋭敏になるし、いつもと違う体の動かし方になる。荒川の作る空間は、庭園( 養老天命反転地 )でも、建築でも、まずバランスを取る必要から、体の鋭敏な感覚をよびさますだろう。たしかに体の動かし方、ふるまいというのは社会的な教育や制度にすごく影響される。学校の整列や行進がそうであるように、動かし方を決められると精神のありようも枠をはめられる。だから体の動かし方だけで、どんな人か、ぼくたちはなんとなく想像がつく。だとしたら空間自体がふつうの住宅とあきらかに違う「制度」になっているこの家ではどんな精神が育つんだろう。空間全体をみたす強烈な色彩も日本の住宅の「制度」からはおおきくはみ出している。映像作家の子供は、撮影のあいだにここで生まれ、幼い姉と二人「この空間しかしらない」人として育っていく。おもしろいのは住人たちが住み始めると、曲面だらけの室内に水平・垂直がインストールされることだ。天井からなにかをぶら下げて保存する。棚に生活必需品が置かれはじめる。ぱっと見ただけでは手がかりがわからない室内に重力のつくるグリッドがあらわれるのだ。

荒川の語りは独特で、というか独特過ぎて、その理屈はなかなか頭に入ってこない。話し方は自分の中の論理にもとづいているように聞こえるけれど、一種の詩として聴いたほうがいいのかもしれない。その中になにかすとんと腑に落ちるものがあればそれでいいとようなね。「人間は死なない」、なんどもいう意味は結局なんだろう。一般的な意味では、彼は2010年に死んだ。プロジェクトのタイトル「天命反転」。reversed destiny である。おもしろかったのは、住人の(たぶん)アメリカ人がこの言葉は語義矛盾で、reverseできないものを本来destinyというんだけど、といっていた。だけどここで暮らすとそれも変わるものなんだと思えるようになるのかしら?みたいにね。
記録映像として、荒川にあまり興味がない人にとっても面白いかというと、それは・・・どうかな?という気もする。あくまで「天命反転住宅」を映像で体験してみたい、荒川修作の語り雰囲気を思う存分見たい、という人におすすめ。