吠える犬は噛まない

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監督ポン・ジュノ出世作で、ひとことでいってとてもかわいい映画だ(だから日本語公式サイトもやけにかわいい)。このかわいさは『500日のサマー』や『人のセックスを笑うな』に似ている。なんとも言えない、ひょっとすると若い監督が特権的に撮れるものかと思うような、視線というか、世界の見え方というか、キャラクターづくりというか、うまく言えないけど。ベテランがかわいいお話を描くのとも違うんだよなあ。 日本のマンガが好きという監督の好みがよく出ていて、見せ方も笑いのツボも日本のポップカルチャーに近くてそれだけにどこか子供っぽさも残っている。それでいてちょっとほろっとさせる夫婦の機微や女の友情もあったりして、なかなかいい雰囲気なのだ。BGMがシンプルなピアノジャズで統一されているところも。
この映画の主役は「団地」。大友克洋童夢』の主役が団地であったのと同じ意味で団地がこのストーリーをつくっている。となると韓国の団地事情をチェックしなくては。あるリポートを見てみた。ソウルは東京23区と同じ程度の面積に1千万人以上が住む、高密度な都市だ。本格的に集合住宅がつくられ始めたのは1960年代初期。1960ー1970年ころは、地方から流入してきた労働者のスラム的な住宅地の解消のためにつくられたが、やがて都市の中流所得層向けにも建設され、高速道路の普及とともに、それまで未開発だった漢江南岸エリアが一大集合住宅エリアとして発達した。住宅不足解消が目的だからどの団地も大規模で、平均すると日本の集合住宅よりも床面積が広い区画がおおいそうで、セントラルヒーティングの完備や管理人がいることで、団地のイメージはいいという。「殺伐」「スラム化」「限界集落化」うらがえって「ノスタルジー」みたいな、日本のステレオタイプで見るとちょっとアレなのかもしれない。
さてこの映画の団地も、なかなか大規模だ。レンガの塀で囲まれた敷地に何棟か高層の建物がたっている。15層くらいはありそうで、一棟に200戸くらい入っていても不思議じゃない。団地には売店があって、管理事務所では何人もスタッフが働いている。ペットは原則禁止だけど、ところどころに飼い犬を抱いた住人がいる。主人公 ユンジュ(イ・ソンジェ) は鬱屈した助教授。吠え声が気に障ってしかたがない。ヒロイン、ヒョンナム(ぺ・ドゥナ)は団地に働きにくる女の子。仕事が終わって家に帰ると、団地よりあきらかに小さそうな家に母親、妹と住んでいる。彼女にとって団地が憧れかどうかはともかく、少し上のライフスタイルがそこにある場所だ。


ポン・ジュノは『母なる証明』でも書いたけれど空間に対する感覚がするどい。建築や土木構造物、地形なんかをうまくドラマの舞台としていかしている。ドラマの盛り上がりに空間がきちんときいている感じなのだ。またカメラへのおさめ方も上手い。撮影監督は作品によってちがうから、監督自身のものなんだろう。この映画でも団地という、建築というより半分地形のような大きな空間を有効につかっている。特にある場所からある場所が見えるという関係の使い方が効果的だ。屋上や地下室、廊下や非常階段というそれぞれの空間を、出演者の行動にちゃんと反映させている。狭い廊下で追跡シーンをとればスピード感がまし、荷物が多い非常階段は、追われるヒロインを邪魔してハラハラを盛り上げる。屋上は、不思議なアジールとして無縁者たちの自由な空間になったり、抜けの良さを利用してマンガっぽい盛上げシーンを(ここアメリ的)見せたりする。地下室は地底のイメージそのままに、いかがわしい、インモラルな、秘密めいた場所としていつも現れる。そこの主となっているおっさん管理人は、突如稲川淳二と化して下からライトを当てながら恐怖のストーリーテラーになる。

ちなみにこの話では、韓国の悪習として外国人からよくいわれる(たぶん韓国人もあまり外国人には触れられたくない)「犬を食べる」が大事なところでフィーチャーされる。この食習慣が今の韓国でどんな位置づけなのかよく分からないけれど、この習慣とペットブームが世代間の意識のギャップとともに併存してしまっているという、その接点がお話の笑いどころだ。ポン・ジュノの好感が持てるところは、その自国にたいする虚飾のなさというか、どの映画でも韓国と韓国人を、等身大に、あまり自慢できないところも淡々と描くところだ。