第9地区


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大評判映画、いまさら感たっぷりだが見た。ストーリーや設定はもう公式サイトで見てね。まずこの設定が勝利である。「人類と共存し、社会に組み入れられたエイリアン」という設定。社会にひそむエイリアンという物語なら過去にいくらでもあった。だけどその場合、エイリアンはノーマルな地球人に姿を変えて社会に潜むもの。エイリアンの容姿をさらけだしたまま地球人と交流するケースはちょっと記憶にない。『E.T.』は社会的スケールでは交流してないからね。あくまで社会システムの外部にいる子供たちだから交流できたのだ。そんな宇宙人のすがたは『エイリアン』からはじまり、『スターシップ・トゥルーパーズ』もふくむ虫嫌悪系宇宙人モノの流れでもある。
斬新な設定と、後半のシンプルなカタルシス展開。文句なしのエンターティメントだけど、この映画のもうひとつの面白さは、ぱっと見以上に「ヨハネスブルグのドキュメンタリー」でもあることだろうと思う。この映画、序盤はいわゆるモキュメンタリー(フェイク・ドキュメンタリー)のスタイルで、そこがまた面白いんだけど、期せずしてドキュメンタリックな部分があるのだ。ヨハネスブルグで18歳まで育ち、いまはカナダで暮らす監督ニール・ブロムカンプは、生まれた町にたいする意識がかなり強い。いきなり感嘆したのは、空撮でとられた第9地区のスラムの本物感だ。セットにしろCGにしろ、ここまで陰影くっきりしたスラム表現はちょっとないな、と思っていたら、それも当然で、実在(住民退去後)だったのだ。

この場所を得たことで映画のカラーは完璧に統一感のあるものになった。アンバー寄りの色彩に振った、ほこりっぽく、殺伐とし、ざらざらした画面の質感。現実にとけ込んだSF要素。 監督は、近代都市とスラムと荒れた野原と鉱山のボタ山が大気汚染の下でいっしょくたになっているような(と彼はいう)、路上をロバの荷車とベンツSクラスが並んで走るようなこの街のリアルをいろいろなシーンで描写する。それはもちろん景色だけじゃない。いま、居住区の住人である貧困層の黒人たちに最も嫌悪されているのは、経済が崩壊したジンバブエから流入した難民やナイジェリア移民などの、いわばさらに下層の外国人たちだという。 DVDコメンタリーで、監督ははっきりとエイリアンたちは彼らの象徴だといっている。でも決して監督は政治的な作家ではない。シトロエンのトランスフォーマーシリーズなどでしられる映像クリエイターだ。 だからコメンタリーの最初に彼がそういったのが意外なくらいだった。コメンタリーは製作直後、公開前のものだったから、たぶん公開後はこの言い方は修正していき、もっと抽象化したと思う。
エイリアン居住地にナイジェリア人のグループが住んでいる。わざわざ国名あげてこの描き方もホントどうかと思うが、もっとも野蛮な、エイリアンも搾取するギャング設定だ。南アの黒人にとっては犯罪者イメージが強いからだという。ぶったぎった牛や羊の頭を売る商売も、人体の一部を使う呪術も、実在のものだ。 しかしエイリアンと彼らが、変な形だが共生しているあたりが実にいい。経済交流もするし一緒に賭けで盛り上がる。
最初は野蛮に見えていたエイリアンは、物語が進むにつれて知性と感情移入力のある「人」の面がきわだっていき、宇宙船が復活すると、高度な科学力をあやつる洗練された存在になり(最初から高度な異星人が出てくる物語なら昔からある)、地球人の軍隊やナイジェリアのギャングといった人間たちが、完全に野蛮な側になってくる。彼らは原始的な、鉄のかたまりと爆薬の武器しかもっていないのだ。地球人の軍隊は南アならではの傭兵。企業に雇われた元軍人という設定だ。南アあたりの元傭兵と言えば『ブラッド・ダイヤモンド』でディカプリオが演じていた(ローデシア出身という設定)。あれにくらべると優雅さのかけらもないこちらの役者はリアリティがぜんぜん上だ。
ほこりっぽい未来。すでに古びて薄汚くなった未来都市とガジェット。『ブレードランナー』がパイオニアになったこの感覚は、ヨハネスブルグという独特の都市と、それを知る監督の手で、またひとつ違う風景として描き出された。
それにしても、この監督が日本のアニメも好きだ、という話はよく書かれているけど、有名なミサイルのシーンだけじゃなく、主人公が操縦するパワードスーツが、敵の攻撃でふらふらになっていき、がっくり膝をつく場面とか、そのあと力をふりしぼる場面とか、たしかにロボットを擬人化するアニメっぽい。というかこの描写、日本人の観客ならあらゆるバトルものの映像でおなじみだ。ヤンキーやヤクザの喧嘩もの、時代劇(相手は一刀で倒れるのに主人公不死身)、それにもちろんプロレス。日本人好みなのはたしかだけど、この描写の源流はなんなんだろう。