ぐるりのこと

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この映画になにを思うかといえば、「役者の肉体」ということだ。
主演のカナオ役リリー・フランキーは通常の意味での映画的な肉体の持ち主じゃない。そらまめのような顔は他の役者にくらべて無意味に大きく、といって舞台役者のような押し出しのある大きさでもない。体はあまりしまりがなく、力強くもない。顔に比べてなんだかちいさく見える。映像の中にいる人間はたいていどこかに主張のある肉体をしているものだ。一般的な意味でスタイルがよかったり、筋肉質だったり、太っていてもボリューム感があったり、もちろん女性ならセクシーな体つきだったり。共演している柄本明八嶋智人にしたって、ウリは演技力だけど、その肉体は画面のなかでそれなりにシャープなおさまりを見せる。けれどリリーの肉体にはまるで主張がない。ただ柔らかそうなたたずまいでそこにある。
妻役の木村多江は絵にかいたような女優の肉体を持っている。顔はもちろん美しく、小さく、シルエットはシャープだ。手足はまっすぐで長い。ダサダサのTシャツに短パンの無防備な格好で家にいるシーンでも、あきらかに見栄えがする肉体だ。しかしこの見栄えがする入れ物が、病んでいる時にむしろもろく、弱々しく見える。
そんなとき、リリーの主張がないやわらかそうな肉体こそが、病んだ妻を全身で受け入れるありようを、演技以前、そのままで表現しているのだ(しかもダンナだけ2度もフルヌードを見せる)。リリーはやや猫背で体のどこにも力が入っていないような「ただ、在る」ような人間としてふるまい続ける。それは虚勢のない強さだ。そしてたぶん監督はその肉体のありようにたいしてとても意識的だ。見せるための肉体でないものがそこにあり、見られるということ。非役者であるリリーが演技者たちのなかにぽつんと一人入ることで、彼の無為の肉体と、演技っぽさが抑制されたふるまいはむしろきわだつようになった。
この映画、妻がうつを悪化させていく前半はとにかくきつい。リズムもどこか悪く、重苦しい。そして中盤にクライマックスがくる。10分におよぶワンカットの妻の精神的解放のシーン。はっきりいってすごいシーンだ。テクニックを見せるためのスムーズなワンカットとは違う。監督たちもいう、ある種ドキュメンタリー性がある長回しだ。そこに解放としての涙があり、それを境に妻が回復しはじめると、がらっと映画のトーンが変わる。そのコントラストはあざやかで、軽快な音楽、流れるように動くカメラ、ちょっとイメージ映像的なカット割り、露出オーバー気味で白っぽく軽やかな画面…特に意識していない観客でも、よどんでいた空気が一気に流れ出したことがいやでも感じられるようになっている。そして間にはさまれる90年代の事件。宮崎勉事件(をモデルにした)の犯人を演じた加瀬亮が、また独特の演技と肉体のありようを見せる。実物にくらべてすこし美しすぎるしなやかな肉体だ。
監督は「食べ物」を二人の色々なあり方のシンボルとして上手に使う。DVDのコメンタリーでそのあたりについてしばしば語っている。妻とダンナが交互に食べるバナナ、おかしな中国料理、床にぶちまけられる豆腐(そして妻はそれを手でかき集める)、異常な量のキスの天ぷら、流しにぶちまけられる米、それにトンカツ屋での妻の兄(寺島進)と気持ち悪い味噌汁との奇妙な繰返しシーン…僕自身のはなしになってしまうけれど、僕も「家族」のイメージに、ひょっとすると必要以上に「食」をシンボル化して重ねて見てしまうところがあって、食事が理由もなくないがしろにされると、自分が否定されたみたいに感じて傷ついたりしたこともある。だからこのいくつかの食のシーンのシンボリズムはとてもよくわかる。
もうひとつのシンボルは、もちろん「絵」だ。映画全体を通して「絵」が描かれ、それは最初から最後までこの夫婦にとっての救済でありつづける。夫が妻を支え続けられるのは絵を描くことによってだし、妻が立ち直るプロセスはそのまま大作の絵の制作過程でもある。職業として絵を描くことがそんなにシンプルに救済でありえるのか?正直いえば疑問もある。多くのアーチストにとっては生きる苦しみの原因かもしれない。だけど何のあてがなくても絵を描く事そのものが救済になりえることも、経験的によくわかる。カナオは法廷画を描き続けることによって二人の世界を社会と結びつける。それは彼が社会を見つめ続けることでもあるし、動き続ける時代精神から、夫婦が完全に孤立することなくシンクロしつづけるということでもある。妻の絵は、世界の美しい面を再び見られるようになった彼女のありかたそのものだ。
カナオは、リリー・フランキーのダメ男的キャラのせいもあって割合ふつうの力の抜けた男に見えるけれど、じっさいはかなり理想化された夫像だ。ゆらぐこともなく妻を支え続け、その理由をさらりと「好きだから」という。一度もブチキレもせずにずっと寄り添い続ける。とてもこんないい夫ではいられない。見ていてまたまた身につまされる。『アンヴィル』といい『サイドウェイ』といい、ここのところ身につまされる系が多いのはいいのか悪いのか…

結論、『善兵衛の35%の夫が身につまされる、共感系夫婦映画!』